多角化戦略について

スケールメリットについて

フォード以降、21世紀初頭まで規模の経済だった。
大量生産にもとづくコスト削減がメインで規格化が進んだ。
GMの破産というエポックを象徴にこのスケールメリット追求の経済に関しては若干変調の兆しがあるように思う。
金融危機や原材料高、基礎技術の革新など外因的環境変化が大きすぎる。


ものづくりにおける分業化、アウトソーシングが進みすぎてしまい、独自性の強いブランディングの構築がメリットからデメリットになるケースがでてきた。
世間で流通していない規格を採用するのは半世紀前はその覇権を示すのにプレゼンスがあったが、現代では逆効果である。
ちいさなつまづきで大きく間違うことが巨躯を苦しめている。
このような環境下では恐竜のように単独で強力な固体よりも、ねずみのような小さな個体のほうが生き残る可能性は高い。


ただ、勘違いしてはいけないのが、この生き残る可能性というのは、恐竜が10頭中10頭死滅するというのと、ねずみが1000頭中3匹生き残る程度の確率の違いだ。ねずみも多く死ぬ(数的にはねずみの方が多く死ぬ)ことには変わりない。


多角化戦略について

経営学の教科書的には利益をさらに広げるための戦略として多角化戦略があるが、自分のような小規模事業者にとっては生き残るための手段として多角化があるのではないかと考える。
多角化の分類をみてみる。


主には「集約型・拡散型」に分類される。
細かくは下記のとおりだ

専業(型)戦略
垂直(的)統合戦略
多角化戦略
 本業中心多角化戦略
 関連多角化戦略
 非関連型多角化戦略

紅茶を商いながら喫茶店もやりつつ紅茶茶葉を売るネットショップもやるというのは、「本業中心多角化戦略」だ。
ここにシステム開発などが混じってくると非関連型多角化戦略、拡散型になる。



紅茶屋やりながらソフトウエア開発もしていますという自分のところは拡散しまくりだ。
それなりに目論見はあるのだが、ひとまずそれはおいておいて・・・
まずは紅茶屋という事業ドメインの収益化についてそろそろ真剣に考えたいと思う。
垂直統合戦略は取れるように仕入れ経路から販路のあたりまではつけてきたつもりではある。
後はこの業務の効率化である・・・。


面白みはないが先人達の知恵にならうのであればメインの商品を据えて、後はそのプッシュである。
商品力+営業力に業績の浮沈をかけるやりかたが王道ではないのかなかと思う。
碁に喩えるならば目をつくってからそこから地所をひろげるやりかたが本業中心多角化戦略だ。
非関連型多角化戦略は序盤の布石に喩えることができるのではないかとおもう。
布石はおいてきたつもりだ。
そろそろ細かい地合でも勝負していきたい。


ライフサイクルについて

製品ライフサイクル理論というものがあるそうだ。
私が思うにはこのライフサイクルは近年どんどん短くなっていっている。
商品をメインに据えてきた法人のライフサイクルにもこれに比例することだろう。
かつて「銘菓***」などをつくれば孫の代まで食っていけた。
だが今は数十億の研究費をかけてつくりあげた商品ですら1年で型落ちしてしまう時代だ。


有名な製品ライフサイクル理論の図がある
↓(こういう奴だけど図は略)

市場成長率
金のなる木
相対的マーケットシェア
負け犬

後日改めて自分のところの商品をこっそり分類したいと思う。


多角化と所感

多足わらじモデルで生き抜くスキルは今後さまざまな方面で必要になってくることだとおもう。


例えばIT関連企業にとってもっとも恐れるべきはサドンデスだ。
サドンデスとは昨日まで価値があったものがプラットフォームの変化などによって、ある日を境に無価値なものになってしまうというものだ。
会社の収益源がそれに頼っていたらその瞬間に終わってしまう。


このサドンデスを防ぐためには事業の収益源は分散していかなければならない。
数十人規模の企業であれば分散化は難しいと思うが、100人を境にこのようなヘッジをしなければ今のような環境激変時に憂き目をみることになる。



かといって、自分のようなひとり有限で非関連型多角化戦略をとるのはただの酔狂だ。
個人裁量の範囲なのでなんとでもなるが、こういう無駄ともいえる部分をしばらく我慢しないことにはリソースが分散されすぎてしまい十分なパフォーマンスが出せない。



飛び石型モデルでつぎつぎ石をおいていくのは自分のような人間にはとても楽しい。
だが時間とお金と健康があればこそだ。
うまく石をつなげれば地合は生きるが無駄な布石を置けば死に石になる。
多角化というのは、臆病なふりをして酷く欲張りな戦略なのではないかと思う。
布石だけをおいて回っても地所がとれないどころか、相手にどんどんとられていく。


経営が環境の変化に対応することというのが大義であるならば、多角化から選択集中も時には必要とされることだと思う。



なんか変なもん食ったのかというぐらいまじめな日記になってしまった。
おやすみなさい。