虚構でもペテンでも興味深い

遅めの夕飯の鍋を一人でつつきながら二十世紀の遺物、閲覧型思想誘導装置にてディスカバリーチャンネルを見ていた。といってもBSフジのほうだけどね。

ディスカバリ-チャンネルセレクション〜心理魔術師・キースに挑戦〜
http://www.bsfuji.tv/top/pub/discovery.html


マジシャンのような人が、通行人に目をつむらせてイメージさせた絵を書き当てたり、あげくはファーストキスの場所や相手の名前を言い当てたりしていた。やってることは、ほとんどマジックなんだけど、ドキュメンタリーだという。あの驚いている体験者が仕込みでも面白いのでいいのだが、もし本当だとすると興味深いなと思った。


人間には自分以外の他者に、思想を伝えるために言語化をして意思表示をおこないコミュニケーションをとる。だが、コミュニケーションの手段は言語だけではない。身振りや手振り、表情などという言語によらないノンバーバルコミュニケーションなるものも存在する。
たとえ言葉にしたにしても、トーンや、音量、微妙なニュアンスという表記しきれない多くの情報があるものだ。阿吽の呼吸や、ツウといえばカアと通ずるようなのはノンバーバルだ。


そこで、ひとつの仮説をたててみる。
もし、これらのノンバーバルな情報を膨大に、かつ正確に記憶しておける人がいたとしたならば、その差分比較によって、相手の思考の類推化がおこなえるのではないか。頭の回転が早いひとは、一を聞いて十を知るなどというが、そこまでにストックしてきた膨大な情報群と、多様な情報を含んだノンバーバルなヒントによる絞り込みで、本質に近いところまでをあっというまに類推できるのではないだろうか?
パターン認識による類推力ぱねぇ!人がいるかもしれない論だ。



ロボットというものがある。
ロボットは、環境を認知するセンサーと、それを判断する頭脳、そして駆動部によりなる。
環境センシングの分野と、情報処理の分野が急激な発展を遂げたおかげで、大量の情報を受信でき、かつリアルタイムに判断できるようになった。例えば、カメラなどによる顔認証などの画像解析系は馴染みが深いことだろう。最近では、動く物体のうち人を認識し、追跡、それが”通常”の動きであるのか”迷子”の動きであるのかなどの動態認知ができるようになった。この技術は不審者検知などの分野ですでに実用化している。
なぜできるようになったかというと、連続した視覚情報の変化をパターンにあてはめて、その差分をとることができるからだ。


おそらく近い将来、Amazonがおすすめ商品をメールしてくるように、カメラの前を通っただけで、顔の血色みて肝臓の病気だからと医者が用意されたり、万引きなどの犯罪を犯すまえにカウンセラーが用意されたりするんじゃないかと思うんだよ。


骨格などの外見上の特徴からその人の遺伝的な特徴は相当程度わかるし、肉付きなどを見れば現在の生活状況がわかる。その遺伝系統の人が生活環境がこうなると、どのような疾患にかかるかなどのデータが貯まれば(許さえさえすれば)、その先どのようなことがおきるかは確率的に絞りこむことができる。


話しを戻す。
大量に人間観察をおこなっている人がいて、ノンバーバルのプロファイリングが正確にできれば、外見上の特徴から年齢も相当正確に言い当てることができるし、秋春生まれの人は汗をかかないので薄着だとかそんな理由から、生まれた季節すら言い当てることができるかもしれない。また、その年齢の人が体験したであろう過去のイベントや、その年齢の人の名前の流行などのデータを集積できていれば、過去にどのような体験をしているか仔細を言い当てることができるかもしれない。あとはマジシャンや易者がやるような言い方での誘導もつかえるだろう。


さて、番組の最後では”頭がいい”の代名詞みたいな8歳で大学を卒業しちゃいましたみたいな子供に、自分の思考を無意識下で読ませて終わったんだけど、これも”頭のいい”子が、無意識下に大量のノンバーバル情報を処理していることを逆手にとっているのではないかと思う。


まあ、つまり何かってぇと、この心理魔術師がペテンだかなんだか知らないけど、機械でもできそうだから別に人間でそういう風な情報処理ができる人がいてもいいんじゃないかな。そして、多分これと同じことが機械でできるようになる。多分、易学とか風水みたいなのは、最初はそういう人によって確立したんじゃねぇのかと。いまはそれが体系化されている最中なのかもしれない。




で、こういうのの重要なキーワードは「虚構」なんじゃないかと思うんだ。
この心理魔術師に勝つるのは、日本が誇る天才、虚構新聞の社主ぐらいなもんじゃないかと思うんだ。ここ冗談抜きにオモシロいよね。いや、嘘っぱちばかりの虚構新聞は掛け値なしにオモシロいだけど、そういうことじゃなくてもっと、なんだろう、ここにはウイットとかエスプリと呼ばれるものがあると思うんだ。洒落てるよね。


この洒落てるっていう感性を理解するために重要な要素があって、暗黙知とか共通知とか呼ばれたりするなにかだと思うのね。虚構新聞を楽しんで読むためには、読む側にも知らなければいけない暗黙的に要求される知識レベルがあるわけさ。

ブータン国王、被災児童を次々ビンタ きょう帰国これ
http://kyoko-np.net/2011112001.html

例えば、畳み掛けるようなこのネタを理解するためには、アントニオ猪木について知らなければいけないし、ブータン国王が来日している一連の報道を知らなければいけないし、ダチョウ倶楽部について知らなければいけないし、二郎ネタについて知らなければいけない。知っていることが多ければ多いほど楽しめるまさにエスプリのお手本のような記事だ。


虚構新聞に書かれた文を表層的な意味合いのみ読めば、文章が伝える内容はただの虚構でしかないが、文には書かれていない情報を知っていればそこからイメージが膨らみ洒落になる。
この洒落になるかならないかは、情報を受け取る側のノンバーバルセンサー感応度によって差が生まれる。虚構新聞がすごいのは難易度が低いものから、そんなのコアなものまでをてんこ盛りに織り込んでいるところだ。だから多くの人が楽しめるし、コア層にも受ける。


洒落を理解しない奴などという表現があるが、言葉が通じたとしてもその背景にある暗黙的に知っている部分がなければ洒落は成立しない。コミュニケーションも同様だ。


この普段の生活で意識もしないレベルの微細で、暗黙的な情報にどれだけ意味を汲みとることができるのかの可能性をペテンと虚構から学んだ。おもしれぇじゃねぇの。



ということで、私が風邪っぴきなのがこの文章から分かったらあなたは心理魔術師を名乗っていい。
寝なさい。はーぃ。

追記:
TEDに彼の講演があったので貼っておきます。やっぱりおもろいのー。
キース・バリーのブレインマジック
http://www.ted.com/talks/lang/ja/keith_barry_does_brain_magic.html