評価経済の評判と評価

最近、評価経済という単語をなにかと聞く気がするのです。オタキングあたりが言ってた。
で、そういうのを読んで、何か違和感を覚えたのです。
節子、それ評価ちゃう。ただの評判や!と思ったわけです。



評判===評価ではあかんです。足りません。政治家がかならずしも能力が高いからという評価で選ばれているわけではないように、最後まで手をあげ続けたとか、声をあげ続けるなど目立つための努力をしたひとが評判の対象となり、たとえプラス評価が1%もなかったとしても、集まった+評判の総量で高評価らしいということになってしまいます。それが評価として直感的にあってるかどうかは、現役大臣あたりの記者会見とか見ればわかるでしょ?



会社の評価には企業価値評価という分野があります。
企業の価値を真面目に科学する相応に科学された分野で、M&Aなどで価値算定などに用いられます。
会社の価値と一言で言っても、例えば預金や不動産、流動負債のようなP/Lに現れるような簿価資産から、取り組んでいるマーケットの占有率や規模、またマーケットの伸展性、ブランディング、のれん価値のような簿価外の価値もあります。さらにはその会社にいる、人材価値評価なども踏まえなければなりません。
こられらの価値評価をもとに、例えばその会社の解散価値を値踏みしその会社の価値をプライシングするわけです。


上場株式の場合、投資家がそれらの評価をして投資をするのですが、あれが上がりそうだとか、これが下がりそうだとかいう市場の下心が入り込みます。ここで、未来をある程度予測できる人間が何人かいたとしましょう。この人間が十分な資本を持って、かつ下心も持っていた場合、予測された未来に干渉して違う未来にしてしまうことができます。ケインズハイエクだとか、経済学がいつまでたっても傍からみると論争の域の中をうろうろしているのは、予測が結果に影響を与えるので予測が正しかったか、間違っていたかを証明する手段が無いからです。再現性がないのは科学じゃねぇ。


さて、株式取引など市場での価格決定に参加しているほとんどの投資家は会社の解散価値や市場価値などで購買行動にでるのではなく、「この株があがりそう」だとかいう下心により行動します。会社の価値が株価、時価総額などに現れるものだとすると、会社の価値を定めるものは、ただの株の価格のあがりさがりの潮流評価でしかありません。
じゃぁ、やっぱり大局としての価値はソーシャルな評判で評価できるんじゃないの?と、思うかもしれんが、やっぱり、ちょっとまったーー!です。うまく説明できないけどちょっとまったー!

理由は今考える。えっと・・・








再現性がない理論は論争の域を出ないみたいな事をいいましたが、現段階で人類がわかっている自然科学的な世界に照らし合わせてみると、例えば原子の周りを飛び回る電子の位置がどこに収縮するかは、シュレーディンガー波動関数よろしく、どこに電子が存在するかは確率論でしかわかりません。株価の三角収斂がどこに決着するかも同じようなもので解析的に分析するしかないのです。


・・・。
・・・・・・。
実は、うまく説明できないから何やら難しいことを言ってごまかそうとしています!


うん。
つまり、何かって言うと、y=2x+5みたいな方程式で、XとYが変動パラメーターが2つあるのに2つとも判らなかったら、どういう数直線上にそれらがあるかぐらいしかかわかんねーよ!ということです。シュレイディンガから一気にレベルが下がったなw


会社なり、人物なりを評価した”評判”の集合があったとして、その評判をした人の評価を踏まえなければ、その評判は比較することができません。口コミサイトで評判が金で買える、ステルスマーケティングという悪貨が紛れ込んだ瞬間に評判は機能しなくなります。市場も下心による市場操作が入り乱れた状態では、評価機能として機能しているとはいえません。


評価をするひとの評価が定まらないかぎり、その評価はy=2x+5の数直線上をうろうろする暫定的なものにしかならんのです。xさんによりされたyさんの評価はxさんの評価が-10か10で結果がまるで違ってきますのねん。



同じことは貨幣経済にも言えて、現在、その評価の基準となるべきお金の価値が揺れていること。
円ドルの為替をみても、それがどれだけ短期間で振幅していることがわかると思いますが、評価がなかなか安定しないお金というモノサシで人物や会社を評価するのは確かに困難な時代になったのではないかと思うわけです。同じように見えるけど去年の10万円と今年の10万円は価値が違うんだぜ?


かつてお金は金本位制など、金や銀という希少金属による評価で価値が計算されていました。
現在は、金本位制ではなく各国の中央銀行による管理通貨制度、変動為替相場制になっていますが、いってみればこれは国家の財政状態を担保にした価値算定のようなもので、もっといってしまえば国債本位制のようなものなのではないかと思うわけです。



日本では「供給される通貨」は原則日本銀行により提供されています。他の国も政府と中央銀行三権分立のようにわかれた存在です。じゃないと、財政が厳しくなるたびに供給過剰になっちゃうからね。
この供給される量こそが、国の通貨の”濃度”です。
為替や関税などというのは、情報化を経てヒトモノカネの流れの粘性係数が下がった現代において、お金の濃度が違う国ごとの間に挟まってなんとか濃度を一律に保とうとしている半透膜でしかありゃしません。


この半透膜にバイパスを作ってせっせせっせと儲けてる奴らも居るようですが、その儲けた行為自体が流動性をあげるための行為でしかないとおもうわけです。なんか諸行無常を感じますが、局所的にはそのような振る舞いも最適解でしょう。


だけど価値や評価は恒久的なものではありません。変化することだけが唯一不変なことなのです。
ってなんか宗教がかってきましたな・・・。



valuation(評価)はvaluationする過程こそが重要であり、観測してはじめて決定されると思うのです。
というわけで、稼ぎも資産も最下級浪人のうえ評判も集まらない私ですが、お金で買えない価値があるということでそろそろ飽きたので締めていいですか?


あれ?
本題の評価経済について書いてない気がした。
また、今度にでも書くね。残念な人保存の法則というのをさっき思いついたんだ。


企業価値評価 第4版 【上】

企業価値評価 第4版 【上】

企業価値評価 第4版 【下】

企業価値評価 第4版 【下】

なぜ今頃2ちゃんねるなのかの仮説

先日、NHKでも夜9時の番組でも2ちゃんねるの特集をやっていて一体全体何が起きているんです?と思った。
いまさら感満載の状態で、大手マスメディアで2ちゃんねるを取り上げている。
「あー、それ2年ぐらいまにネットで見たわー」どころじゃない話しを”ニュース”で報道されると、これからニュースにしたいのかな?と思ってしまう。

2ちゃんねる管理会社、実体なし…日本で運営か
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120327-OYT1T00043.htm
掲示板の管理会社とされるシンガポール企業は、実体がないペーパーカンパニーだったことが現地での取材でわかった。

NHKで2ちゃん特集
http://hamusoku.com/archives/6922564.html

何がしたいのか??の仮説

1.ひろゆきが目障りになってきたので黙らせたい
2.2ちゃんねるをともかく閉鎖させたい
3.他の重要ニュースの煙幕に2ちゃんねる騒動を利用したい
4.他

仮説1:ひろゆきを捕まえたい

1-1 ニコニコ動画などへの足がかりにしたい
1-2 露出が増え社会影響力がましてきたので冷水をかけたい
1-3 我々の知らんところでタブーに手をだした
1-4 そろそろホリエモンが出てくるので交代要員(最有力候補)

仮説2:2ちゃんねる潰したい

2-1 3.11以降の社会不穏分子が集結がいよいよ本格化?
2-2 統治体制に更なる混乱が今後予想されるので言論統制をかけたい
2-3 集会条例的な気分で、国家の監視管理の統制下におきたい
2-4 Twitterとか代替物もでてきたから要らないよね?
2-5 雇用、経済悪化などの社会不安を顕在化、加速させたくない
2-6 外国からの工作活動が活性化したなどの情勢変化

仮説3:ちょっと煙幕として燃えてくださいね

3-1 東電や原発の問題
3-2 増税
3-3 政界再編(大阪のあそこらへんがらみ?)
3-4 政治家逮捕(2ちゃんねるで人気の政治家?)
3-5 通貨、国債信用
3-6 領土問題
3-7 TPPなどの国際通商

仮説4:ほか

4-1 検察や監督官庁などのなかの人が変わり方針転換
4-2 外国からの要請(アメリカ絡みとか)
4-3 まさかの今更の大手メディアの危機感の現れ
4-4 偉い人がつい最近それを知るに至った


所感

なんだろーと考えてみたけど、わかんねーわーー。
だいたい2ちゃんねるがよくわからない。
誰が作ったシステムだかわからないし、どこの誰が書きこんでいるのかもわからなければ、誰がその書き込みを読んでいるのかもわからない。削除する管理人もどこの誰ともしならいボランティアらしい。そんなものを設置した人に対して、”管理責任”というものを問うにしても無理なのではないかと思う。
道義的な管理と管理能力、責任能力があるかはまた別の問題だ。責任能力とは、是非を判断した上で行動できる能力のことだ。2ちゃんねる的なものを管理者の立場で監督責任を追求するのは無理な話しだ。
だが「Winny」で金子氏の無罪確定まで8年という歳月が掛かったことを考えれば、日本の司法制度下では無理筋で赤羽の貴公子ひろゆきが捕まっても不思議はないけども、やるんだったら脱税とかそういう経済犯罪ぐらいになりそうで、しょっぱそうだ。今更感もぬぐえない。


んー。なんだろうー。
ひろゆきあたりに海外ビザの申請の動きがあって武富士創業者の息子への追徴課税でやらかした国税の経験から早めに手をうとうとしているとか、なんかそういう可能性があるぐらいか。ホントよくわかんないなー。捕まえても苦労の割に誰それ感は酷いと思うけどな・・・・・・。


言論統制筋はあまりないのかなと思う。2ちゃんねるを潰しても、アラブの国々がひっくり返った例を見ればその舞台は2ちゃんねるではなくて、facebookのようなリアルでのネットワークの方が脅威だ。日本裁判所が仮処分でgoogleに手をだしてもお断りされたみたいにfacebooktwitterもダメそうだから、じゃあ2ちゃんねるとわけでもないだろう。それに人狼でいう狂人を紛れ込ませることができない顕名は統制側にとってはかえって不利だと思う。


2ちゃんねるの煙幕としての利用価値はホリエモンと同等ぐらいにはあると思う。その裏に隠せるのは結構大きいが、今年夏秋ごろのニュースに注目したいところだ。半年後?なんだろう。TTPかな?
んー。個人的には消費税10%もドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(わざと高い要求を出して相手に断らせた後、本命の要求をだしてくる)のめくらましでしか無いと思うんだけど、どうだろう?みんな増税に反対するなら社会保障費、減額するねとか。


国債や通貨発行で日本をはじめとする国際社会は大きな懸案と爆弾をかかえており、増税をうたいだ日本では、震災とあいまった東電の値上で、まじめに竹槍を売ったら売れそうな怖いご時世になってきた。社会不安はあともう一押しで秩序を崩すところまで言ってしまうのではないかと結構怖い。
日本人は右に倣え的な振る舞いをするので、変わるときは一気に変わる。どこまで耐えられるか国民でストレステストをしてフラッシュポイントまで行ってしまったらどうするのだろう?結構ビクビクだぜ。
匿名掲示板はそれを加速させる可能性がある。対処療法でしかないが加速装置を外しておくことぐらいには延命は図れると考えてるのかな??


つか、よくわかんないなー。理由なんてないのかもしれないなー。
やっぱり、ホリエモンがあと半年ぐらいしたら檻から出てくるから、部屋が開くからきみ変わりにはいりなよっていうところじゃないのかな。

情報化社会における企業のスケールデメリット

起業をめぐるバイアス
http://www.shudo.net/article/201203-biases-around-startups/
首藤 一幸

面白かったので咀嚼がてら読書感想文。

起業を薦めるバイアス

意識していなかったが、形式上自分も起業家であるので起業を勧めるバイアスを帯びた人のひとりであるようだ。まわりに「会社つくったよー」程度の感覚で法人化するひとが多いため、起業を目的にするひととかを見かけるとこの人はどうしたいのだろうかと不思議に思うことはある。起業については悩むぐらいなら辞めとけというスタンスだ。


受託開発と日銭

日銭を稼ぐ仕事というのは重要だ。自分もお金がなくなると受託を受けたりする。日銭はできればロールスキルでもスケールするような仕事で稼ぎたい。稼ぎたいというよりは稼ぐ仕組みをつくりたい。特殊スキルを持ち合わせない人の稼働でお金になる仕事が作れてこそ仕組みづくりに成功したと言える。だがこれが難しい・・・。

貢献と報酬

いまどき、お金やそれで調達できるリソースが成功のキーファクタ(鍵となる要因)であるような新規事業がどれくらいあるだろうか。
...
お金が成功のキーファクタでないのに、出したお金によってリターンが決まるというのはおかしな話である。
...
リソース提供者だけでなく、事業のコンセプト、経営、技術、マーケットコミュニケーション等のそれぞれが、成功に貢献した割合に応じたリターンを得ることが自然だろう。
...
強く顕在化してきたお金の動きと合致しない価値提供・貢献をどう認識してどう取り扱っていくかは、今後の社会、そこで生きる個人に大きな影響を与えるだろう。

慧眼。肝要な事象と課題である。
たしかに、お金をリソースとして取り扱うことに難が生じ始めているように感じる。
企業価値評価や人的資本評価などを突き詰めて分析していくと金銭に換算して評価することの虚しさを覚える。
製造業におけるスマイルカーブがなどと世間ではいわれていたりするが、例えば小売業などの世界ではいままでは「何をいくらで売っているか」こそが至上命題であったが、「他とどのように違うか」や「誰が売っているのか」などの他の価値観が存在感を増してきている。
得に資産が知的資源に集約されるIT産業などではこの傾向が顕著だ。
お金は成果を図るためのアウトプットだけにすぎないのではないかと思うことすらある。いや…、昨今のSNSゲームなどの経済効果を考えると、もはや価値創造や生産性を図るためのアウトプットですらないかもしれない。


個人とその連携こそが試される時代

19世紀初頭、ヘンリー・フォードらが工業生産による価値創造に成功して以来、組織は大きくなることで資本の効率化による利益を享受できた。管理された生産体制下で人を投入すれば、数カ月も先の生産能力を知ることができ資材調達も計画を立てることができる。スケールメリットを最大化し、利益を最大化することに各社しのぎを削った。
たとえば一人しかいない会社の一人あたりの資本利用効率を1とすると、10人の会社だと一人あたり1.2になり、100人の会社だと1.8になるというような具合だ。かつては人数が増える(増やせる仕組みがある)ほど、利益は最大化できた。


だが蒸気機関が発明されたような、あるインパクトが地球を襲った。情報産業の出現だ。
情報産業において固定資産財や耐久消費財はその知識の範囲を制約する重力でしかない。
重力がわずかにでも変われば巨大な恐竜は絶滅してしまうかもしれない。


必要とされたときに必要なだけの形になる。
それがいままで出来なかったので、最大化を目指した。
国や軍隊などもそうだ。権力を集権化し、巨大化することで効率化を目指した。


だが情報の粘度がさがり流量が増すと、経済の動静も激しくなり、物がうごき、あげく人の移動まで活発になった。
画一化していた人々の趣味嗜好やライフスタイルは再び多様化しはじめる。そして人々はその多様性をうけいれはじめた。
薄利多売で利益の最大化を目指していたビッグプレイヤーがその環境の著しい変化についてこれなくなってきた。要望ごとに要求されるスキルセットが異なり、画一化した人員やライン化された設備では対応しきれなくなっている。


1人とか2〜3人のユニット体制と、そのアライアンスこそがこの時代の鍵(キーファクタ)であると思う。
そのようなフリーランサーが組んでプロジェクトをマネジメントし調整する方法はいまのところ明確なものはない。レベニューシェアだのジョイントベンチャーだのと言ってはいるが、結局まだ誰かがケツ持ち役になって主幹会社をつくることで既存の社会の制度の中で折り合いをつけているだけだ。


具体的な仕組みがつくられそれが機能するのはもう10年先かもしれないが、近いうちに仕組みだけでもいくつか生まれるものと考えている。つぅか考えるよ! 今度 MIT aka 100K チャレンジとでも銘打ってやろうかなと思ってるんだ。MITじゃないよ三鷹ね。しかも賞金100K$とかいうんじゃなくて、実費10万円でなんかお試しビジネスの試打してみましょーみたいなの。こういうテストファーストな形でポンポンやってくしかないんじゃないかな。
個人同士の連携の仲介については法人がやるというより、各地域にある任意団体やサロン施設がその役割を担うんだろうなと思います。冒険者の酒場的なね。三鷹のプログラーマーズカフェとか、福岡のAIPCafeとかみたいな。


あ、ここで宣伝!!
プログラマーズカフェ、久しぶりのナイトイベントがあります。テーマはnode.js 4/17 三鷹です。
http://pgcafe.doorkeeper.jp/events/978-pgcafe-nite-april20124
宣伝おわり。受付は今日から開始です。まだちょっと詰まっていないところがあるので、お昼ごろには受付可能な状態にします。たぶん。いいよね?
あと、平日の日中開催のプログラマーズカフェですが、4月からコワーキングスペースクローズドβにつき場所が移動になりますのでご注意を。



宣伝したらなんか思考が寸断されたので、続きはまた今度というか、気が向いたときにでも!

起業 ≠ 法人設立
ベンチャーの定義:スタートアップとスモールビジネス
事業の手段としての法人
マイナスの抑制は粛々と、むしろ、プラスの増強を

無尽無心御恩送り元の黙阿弥

昨夜夜遅くにやっていた、井上ひさし「黙阿彌オペラ」が面白かった。
チャンネルぱちぱちで見掛けただけなのに見入ってしまい終わったら日付が変わってAM3時になっていた。
でも満足。ヨハマンゾクジャー!
http://www.nhk.or.jp/bs/premium/playlist.html?st=20120128

オペラとあるが、8時だよ全員集合的なセットで展開される舞台演劇だ。正直、舞台とか演劇とかをいままで欠片も面白いと思った事がない。だけど、たまたま見掛けた場面の台詞まわしがおもしろくてなんかぐっときた。誰がでてるとか、誰が書いたとかまったくしらなかったのだけど、あちらこちらに細部にまで考えられた後があり、ほぅほぅと思いながらみていた。ストーリーの構成や展開が落語の人情話みたいな感じなのもいい。三遊亭圓生あたりの話芸を演劇にするとこんな感じだろうという世界。井上ひさしって、ゲゲゲの鬼太郎にでてくる登場人物か?ぐらいしか物覚えがなかったのだけど、名前が売れているのにはわけがあったんだな。


さて、観劇の寸評を私が語ってもしょうがないので、面白かったからオススメだよというのに留めておく。
劇の中で効いてる風刺については、あれこれ考える価値があるのではないかと思うので、書き留めておこうと思う。風刺の意をくむのに少しストーリーや設定を紹介せねばならない。


おぅ、そうだな、話しの筋はこうでぇ。
時代は江戸後期から文明開化の数十年間。江戸は柳橋蕎麦屋を舞台に知り合った人達の縁を描くってなもんよ。そいつらは蕎麦屋に捨てられた女の子を育てるために「株仲間」をつくった。出資金を出しあって、その子を育てるってんだ。粋な話しじゃねぇか。そこであれこれあるってな寸法よ。

株仲間と無心

株仲間ってのは、株式取引をしている仲良しのことじゃねぇぞ、なんせ黒船の時代だ。挑むために出資をしあおうっていう仲間のことさ。例えば貿易船をだす、うめぇことやって船がスパイスでも積んで帰ってきたら出資分に応じて株仲間で儲けを分け合うって寸法さ。それがここじゃ、子供を育てるのに株仲間をつくりやがった、みんなで出資しあって芸事など習い事を沢山させてあげよう、きっと15年後には器量よしになる、柳橋花柳界だから立派な芸妓になれば身請け金でおつりがくらなぁって算段さ。ちょっとした人身売買だけど、といっても、本当に連中が金儲けのためだけにやったわけではない。仕事にありつけねぇやつとか、食い逃げしようとしてた奴が無心された金を15年先に出資してんだ。げに真の出世払いよのぉ。

御恩送り

ぐっときたねぇ。いい話じゃないか。捨てられたお千ちゃんが株仲間の出資をうけて翌日に古着を買いに行く。古着屋は米と漬物を買いに行く。ひとつの恩は送られていろんな人が生きるために使われる。ご恩っていうのは廻るってもんだ。使うことによって巡り廻るんだ。消費されるもんじゃねぇ。ガキのころ先輩におごってもらったとき言われたんだ、俺に返さなくていいから、後輩ができたらおごってやれって。ペイ・フォワードだな。

税金と銀行と無尽

ころがりこんだ幸運で連中は銀行をつくることになる。文明開化組の浮かれぐあいに水をさすように、頑固ものが反対して、仲間に亀裂がはしるわけだな。「なんのための仕組みか、誰のためのものかそれを忘れて、作りだけを真似しても決してうまくいきやせんよ。」ってな具合にな。

ここが実に現代の様相と重ね写しのようだね。
江戸時代後期まであった無尽の仕組みは、仲間内でお金を出しあって、それをまとまった額にして融通しあう形だ。ソーシャルレンディングだな。興味があるなら無尽とか調べてみるといいぜ。

そう、でもな、仕組みを学んで(真似んで)もしかたねぇのさ。
一生懸命、金儲けの仕組みを考えても、それが誰のためになるかとか、どういう風につかわれるかとか、おめぇさまがたは一分も脳みそを使ってねぇ。いい台詞じゃねぇの。そうだよ、仕組みづくりに血反吐をはいてカラクリつくるが、それがどう廻るのかを考えない。オバマも言ってたな。それが機能するかどうかが問題なんだって。他がうまくいったからと声色真似たところで、そんなもんは廻らねぇって。


御恩送りや無尽が人と人を数珠のように横につなぐのに対し、明治以降の銀行の仕組みや政府の仕組みは、一度元締めが徴収して分配するという縦につなぐ幹事方式。マスメディアのありようが、ソーシャルメディアに変わりつつあるように、現代でまたすこし横のつながりに変化しつつある。


せっかく無心で恩を送っても、銀行で止まる、政府で止まる、政治家で止まる、組織で止まる、ぁあぁ、ちっとも廻らないねぇ。何?子供が捨てられている?養護施設に送れ。寄付をしたい?銀行を使って送れ。運営資金で足りない分は税金で補っている。税金は会社が集めろ。勤労は義務だ。納税も義務だ。なに?儲かってなくて払えない?金を借りろ。公的支援助成もあるぞ。金を貸してやるから税金払え。なんだと!?税収が足りない!?金を配ってやるから税金払え。


少ない負担で、効率をだせるように考えぬかれたのが税金や銀行などの仕組みであったのだが、いつのまにかまた廻らねぇものになってきちまった。耐久消費財が増えすぎて、トラフィックポイントが増えすぎたからだとおもうけど、あぁ、だからといって、ここでまた誰が何のためにそうなったかをわすれて、金利が悪いとかイスラム金融とか仕組みだけ真似たところで、そりゃおめぇさま、廻らねぇってもんよ。バランスを欠いたら元の黙阿弥と相成るのであります。

ハイエクと仁徳天皇、ケインズとクフ王

西暦313年に在位した仁徳天皇には「民のかまど」という逸話がある。
夕時に街をみたら民の家屋からほとんど夕飯の支度の煙があがっていない困窮する民の生活をみて3年租税を免除を命令したというお話しだ。民の生活が戻ったあと課税を進める家臣を聴かず更に3年続けたという。

人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87


実際はどうだったのかはわからない。
朝廷が徴収しなくても豪族は租税を課しただろうし、免除をしても朝廷への献上物などはあったことだろう。だとしても寄付だけで6年まわせる政府ってちょっと信じられないね。


現代の政党政治パトロンがついて、それに少なからず影響をうけ税の再分配をおこなっている。耳障りのいいことを言った人しか当選しない仕組みのなかで徴収された税金が分配される。
ま、なんつうかあれだよな。
いっそ集まった寄付金だけで予算組めば?とか思ったりもする。義務徴収しないとお金が集まらないと思ってるんだろうね。実際は税率あげても全体が困窮すれば集まらないと思うんだけどね。



朝日新聞にエダノミクスvsマエハラミクスとかいうわけわからん記事がった。
ケインズハイエクを縦軸に、横軸を政治家の枝野と前原にした代表的な政治家のポジションマトリクスにしている。
http://digital.asahi.com/20120109/pages/politics.html

内容はともかくポジションマトリクスを作って視覚化するのは面白い取り組みではある。
人物名を評価軸にするんじゃなくて、経済か社会保証ぐらいの図にしておけばよかったのにと思う。そうすればもっとわかりやすいのに。


個人的にはケインズハイエクも言っていることはもっともだと思うが、経済に政治が絡むとろくでもねぇことになるのが大概だ。経済に関する未来予測は干渉可能な未来だ。予測を政策によって干渉することで外すことができるからだ。
例えば、円高になると予測されれば、円安にすることができる。予測は外れることになる。精度の良い予測は実行力の高い政策のもとでは常に外れる。ネガティブな未来予測は常に外れなければならない。
逆に政策がうまくいっている間はその実効性は観測もできない。失敗して初めて気がつく。よい予測も、いい政策も優秀であればあるほど事前に手当がされてしまうのでわからないのだ。

経済学者的因果関係はブラックジョークでしかない。(真面目に検索する人がでると悪いからいちおう断っておくと疫学的因果関係とかのパロディね) 結果、口ばっかりの評論家や批判家ばかりが幅をきかせることになる。残念だね。




ハイエク新自由主義という考え方がある。
小さな政府に代表されるように、税金とか政策は最小限に、介入はせんでおこうというスタンスだ。社会保障すらもいらないよねというお話。例えば東京都の最低賃金は現在850円だが、こういう雇用に関する規制があることで長中期的には雇用機会や労働学習の機会を奪うことになる。社会はもともと柔軟性や迅速性をもっているものだから邪魔するだけだから介入は最小限にしようというお話しだ。


ひるがえってケインズは経済に介入し、刺激する必要があるっちゅうスタンス。
まあ、俺からするとケインズだとかハイエクとかふーん程度なものなので間違っているかもしれない。


んー。ちょっと検索してみたけど、あまりいい纏めがないな。
これが一番わかりやすいw



ケインズハイエクの100年前の古典論争からさらに古代にさかのぼってみる。仁徳天皇は政府の介入をやめ小さな政府で急場をしのぎり、ピラミッドを作ったクフ王はさかんな公共事業投資を行った。


古代の経済や政治はシンプルだ。
不作で飢饉の時に、税として米を徴収しようにも徴収すべきものがない。
現代のように国債を発行しようにも現物の食べるものが無ければ空手形は切れない。故に生活も改善しない。だから仁徳天皇は民の生活を回復させるために租税や武漢を免除した。


ひるがえってクフ王。ピラミッドは公共事業だったといわれている。
農閑期に人々に仕事を与えるために事業をおこした。報酬を与えることで、農業従事者以外も収入を得ることができ、社会を支える様々な技術が発達した。ハイエクケインズ。どちらがということなどない、どちらも重要である。その適用すべきシーンが違うだけだ。子供に勉強しなさい言い続けると勉強をする気が減るみたいなものだ。介入すりゃいいものでもないし、介入しなくてもいいものでもない。



若者は「働ける」という労働資産をもっている。労働資産をさまざまな資産に変えていくのだ。充分に働いた老人は資産を持っている。資産があれば働けなくなっても若者の労働力を買うことができる。
最近の若者は働かないという。
若者に働いたら負けかなとまでいわせしめたのは働いても得られる資産が少ないからだ。少ない? いや、その得られるものにたいする評価が低い、価値をそこまでのものと認めていないということだ。
手に職をつけても10年後には使えないかもしれない。10年下働きをしても、将来にその会社はないかもしれない。お金を稼いでも老後にはつかえないかもしれない。などなど理由は人の数だけある。


20年後、日本の労働人口は2/3になる。人口動態をみると現代の日本は労働資源が枯渇することが確実に予測できる。今、生まれていない子は20年後に20歳になることはない。干渉ができない未来だ。


この人口が問題。政府の未来への借金は人の労働力の先物取引をやっているようなものだ。限月がきて決済しようにも未来の労働力は物理的に少ない。公共事業などにおいて、耐久消費財に投資をおこなってしまうと経済への還流もあまり見込めない。ラッパーのハイエクの言う迎え酒状態だYO!


労働力の合計量の減少が見えている中で生活水準を保つためには生産性をあげるしかない。
Σ(労働人口×生産性)-Σ(人口×生活費)=経済
こんな風に経済を模式化したとすると、非労働人口労働人口の比率変化が2倍ぐらいにもなるので生産性を2倍にしても現状維持ができない。


将来を考えれば生産性の向上に寄与、評価できないものに投資、介入をつづける合理的な理由はない。だけど、合理的じゃない理由はいっぱいあるからしょうがねぇんだろうな。

予想通りに不合理。
無理が通ればなんとやら。

増税までするほど政府が市場に介入しても未来は明るくねぇかもしれない。日本だけの話しじゃなくてね。将来的にみれば生産性に寄与する知的財産の部門でどんだけ投資成果をだせるかにかかっている。
途上国においては、人間の健康に投資して病気を防ぐのが統計上経済成長の速度をあげたというし、日本のローカルケースを考えると老齢人口に投資して、健康管理で労働人口あげるのが現実的策。


このままいけば未来明るくないかもしれないけど、自分は楽観視しとる。
なぜならネガティブな未来予測は常に外れることになるからだ( ´,_ゝ`)

近代科学バルス実装考

バルス」とはいわずと知れた「天空の城ラピュタ」の滅びの呪文である。
テレビで再放送され件のシーンにくるたびに、DOS攻撃にも強いという2ちゃんねるのサーバーを落とし、最近の再放送ではツイッターの秒間ツイート数で世界記録を更新した。バルスは世界のネットワークインフラを一瞬のトラフィック増で混乱に落とし、寸断しえる現代唯一の現存する滅びの呪文でもある。


さて、この「バルス」という単語。滅びのコマンドにしては短すぎるのではないかという論考があった。

ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか
http://mubou.seesaa.net/article/210212206.html


確かに、自爆コマンドが三文字では短すぎる。
「パズーがきたならば、留守だと伝えて頂戴」みたいなツン状態から、
「ぅん、私頑張る…。好きじゃなきゃこんなこと言えないよ。」みたいなデレ状態まで、文中にうっかりバルスが混在してしまうことは大いにありえることだ。注)このふたつのセリフはそれぞれ文中にバルスの音を含んでいる。
そんな、うっかりバルスのたびに、天空の城が崩壊していたのでは設計がどうかしているぜと言わざるを得ない。本当に「バルス」の一言で滅びるのだとしたらあまりにフェザータッチだ。


フェザータッチ

西部開拓時代。ガンマン達は早打ちの腕が生死をわけたため、引き金の感度をよくした。スナイパーも引き金を引くときの握る力で照準がずれないよう、まるで羽毛のような軽さで引き金をひけるように銃のバネを調整した。フェザー(feather)とは羽毛のことである。これがフェザータッチの語源である。


西部劇のように敵意を持って銃を構えている人物と対峙している状況下だったとしよう。実際ムスカは銃を構えていた。ここで、目の前の相手を一瞬で蝋人形にする呪文が「ビリーゲンブルーゲンヴァックスドッカ」ぐらい長かったとして、相手もこの呪文の存在をしっている状況下であれば、詠唱を始めようが詠唱が終わるまえに撃たれてしまうだろう。呪文もまたフェザータッチでなければならないのだ。


だが、軽い引き金は同時に誤爆という悲劇を生み出す。西部開拓時代にも銃がうっかり何かに触れた拍子に暴発し、自分の足を撃ちぬく者が続発した。そこで考案されたのが安全装置である。近代の銃は安全装置を外さないと引き金をひくことができない。ならば当然、ラピュタのシステムにも安全装置はあったはずだ。


言語インターフェイス

iPhone4Sから登場したSiriは世界に衝撃をもたらした。カーナビやスマートフォンなどで徐々にではあるが身近に体験できる言語インターフェイスが登場してきている。課題点も多い。日本語のように同音異義語、語彙が多いものはそもそも音声認識が難しいし、実際の動作環境を考えると環境ノイズをキャンセリングするのが難しい。

オープンソースで開発されている音声認識システムJuliusをいれてカフェとかで動かしてみればわかるが、ちょっと愉快なことになる。次々意味のわからない文章が登場して降霊術かと思ってしまうほどだ。

Julius
http://julius.sourceforge.jp/index.php

現代の科学水準で言語でのみ操作をしようと思ったら大変であるが、カーナビのように予め応答する単語を辞書で絞りこんでおけば実用に耐えうるレベルにはなっている。


先日、野生のプロでイオナズンを実装したひとがいた。
部屋の家電を音声操作可能にしてしまったようだ。話題になっていたので知っている人も多いだろう。
部屋にはいって「電気つけて」というと部屋のあかりが付き、「暖房つけて」というとエアコンが設定温度19度で動き始めるのだ! 本当に進化した音声認識は魔法と区別がつかない。まさに!

引越ししたので未来なお部屋を作ってみた。
http://d.hatena.ne.jp/rti7743/20120104/1325668680

なんかすごかったので、これを実現するのにご本人が公開しているプログラムのソースを見ながらツイッターで呟いてたら、「ルールベースで認識した結果の音声部分をもう一度 ディクテーションにかけて、誤認識をフィルタリングするのがミソです。 」と、ご本人からミソポイントをご指摘いただいた。みそみそ。


にゃるほどと該当部分を探してみた。

https://github.com/rti7743/kaden_voice/blob/master/naichichi/naichichi/RSpeechRecognition.cpp
hr = this->DictationGrammar->SetDictationState(SPRS_ACTIVE );
(略)
hr = this->DictationGrammar->SetDictationState(SPRS_INACTIVE );

この二行などはよく表していると思う。
この二行は()内の引数が違うだけだ。SPRS_ACTIVE と SPRS_INACTIVE というこの2の定数はMicrosoftAPIのドキュメントによると

SPRS_INACTIVE Grammar rule is inactive.
SPRS_ACTIVE   Grammar rule is active.
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/ms718917(v=vs.85).aspx
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/ms717272(v=vs.85).aspx

つまり、一度文法みたうえで、再度文法をみないチェックをかけているのだ。
こうすることで誤認識を防いでいるのだ。


音声認識の安全装置

バルス音声認識による操作だ。音声による操作はいくつかの安全装置を考慮せねばならない。文中の音節に反応してはならないし、オペレーター以外が発した環境音に反応していてはだめだ。


例えば環境音が多い駅の構内で音声を認識するには、まず人を認識してどの音を選択するかなど雑音抑制によるフィルタなどが考慮されている。

Kinect ヘのリアルタイム雑音抑圧処理の実装
http://spalab.naist.jp/kinect_bss_demo.html


考えてもみてほしい、そもそも飛行石は音声による操作インターフェイスをもっているのだ。それを外部に送る通信インターフェイスも当然もっているだろう。現代のKinectが赤外線光を対象物に照射してものの立体を”みる”、動物のコウモリやイルカが音でモノを”みる”ように飛行石自体にその周辺環境をモニタする能力がないわけはない。レーザーのような可視光が出せるのだ。音も出せる。人間の目には見えない不可視光で、耳には聞こえない音域でオペレーターをとりまく環境をモニタリングし続けることが可能だ。


さらにペンダントという形で使用者本人と物理的に接触している。物理的に接触すれば情報量も増える。脈拍や発汗、呼気などをモニタし続けることで、使用者本人が酩酊状態や錯乱状態になく、どのような心理状態でそれを発したのかがわかることだろう。


使用者は王家の血族だ。代々モニタリングされ情報が蓄積されている。遺伝的特徴が行動パターンや身体的特徴の随所にあらわれる。現代でも静脈や目の虹彩、指紋、声紋などのバイオメトリクス(生体認証)がある。もし、情報の蓄積が十分に進めば近代科学でも優性遺伝で発現する遺伝的特徴でそのものが血脈が否かぐらいはわかることだろう。例えば指紋ひとつをとっても日本人には流れ紋やうずまき紋など主には3種類があるが、こんなことでも確率的に血族かどうかはみわけられる。耳の形がそっくりとか鼻の形がそっくりとかで似てるわねーとおばちゃんが言ったりするが人間でもわかるのだからシステムだって学習できるだろってなもんだもんよ。


だとすれば、自爆コマンドを実行するのに使用者は正統な権限があるか否かの認証はすでに通っていることだろうし、興奮状態にある敵意を持った人物が近くにいるなどという環境も監視できているはずだ。本人は怪我をしていて、生命的にも危機状態である。それをシステム側が認知していたとすれば、「バルス」の発言前に、システム側が状況を判断し、安全装置を外してスタンバイをしていたことになる。


現代科学ですら尻の圧で個人識別できるんだから、声紋だけだって十分だよね。

自動車盗難防止に「お尻で」生体認証:日本の技術
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/111226/wir11122617190001-n1.htm

ここでブレイク

はばキットカット! 昨日キットカットに自社のCMをいれたお年始をもらった。なんかすごいね。
なんか長くなったから紅茶タイムだよ。
うちは紅茶屋だから、おまかせ茶葉セットでも貼っておくよ! たまには紅茶でも飲もう。
http://item.rakuten.co.jp/hagurachaya/s-904/



環境センシング感情センシング

東京大学工学部の浅間教授がロボットを次のように定義していた。

1.リアルワールドのセンシングをおこない
2.アクチュエータ(運動機構)をもつもの

環境をセンシングするものが近代においてどれだけ重要な意味をもつことになるだろうか? その重要度は今後増す一方だと思われる。電子工学の世界ではセンサー類が重要度をまし、情報工学的にはセンシングした莫大な情報から”有意”を抜き出すアルゴリズムがより重要になるだろう。


本屋さんの店員はお客さんの動きで万引き犯がわかるという。それと同じように、監視カメラで人間の動きを検出し追跡をおこなうことで不審者や迷子パターンの検出はすでに商品化まで来ている。我々大人がうろうろする子供をみて「僕、迷子になっちゃったかも」と子供が認識するまえに、「あれ?あの子、迷子かな?」と認知することが可能なように、テクニカルにシステムがそれを認知するのだ。


近い将来には我々が意思を明確化、言語化するまえにノンバーバルからえられる莫大な情報から、それを監視するシステムが、まるで長年つれそった奥さんのように次の行動を察する可能性がある。
「お茶ー」と呪文を唱えるまでもなく、メイドロボがお茶を運んでくるのだ。予測行動。これこそが光よりも早い通信だ。よかったね光よりも早い通信あったよ。
生活パターンを学習し、最近のライフログ記録し、趣味嗜好をAmazonのリコメンド機能のように理解したシステムが駆動系を持って、実際の生活にはいりこんでくる。なんということだろう。


ロボは人間の感情を理解しないという過去のSFものはやステレオタイプかもしれない。
最近Twitterの自分のタイムラインをNTTデータのなづきAPIメタデータの感情APIにぶん投げて解析して、株価と連動比較とかしてみてたのだけど、まぁ、精度はいまいちどころかいまさんぐらいの余興レベルなんだけど、一日1万件ぐらいぶんまわした感触としては感情系もできなくもないなと思った。*1
マーケットも現代では投資家の気分がぶつかっている現代ではシステムのアルゴリズムの衝突を象徴した場所でしかない。事実アメリカでは87%の制度で連動がみられたという。個人的には残念な話しである。

http://lusty.sakura.ne.jp/senior/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A7%E6%A0%AA%E4%BE%A1%E4%BA%88%E6%B8%AC%E3%80%81%E7%B1%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%8C%E9%96%8B/
ツイッターを利用した株価予測システムを米 Indiana大学(Bloomington's School of Informatics and Computing)の研究者が開発した。ダウ平均株価(DJIA)のアップダウンを87.6%の精度で予測できたという。

140文字のつぶやきで人々の気分が拾えるのなら、人間をも含む環境センシングとロギングで、人間の機微を理解するアルゴリズムを作ることは十分すぎるほど可能だ。


問題があるとすればアルゴリズムの衝突。これについては、TEDの【ケヴィン・スラヴィン 「アルゴリズムが形作る世界」】がおもしろい。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/kevin_slavin_how_algorithms_shape_our_world.html


そう、そこまで機微に穿ってアルゴリズムが組まれるともはや我々人間にはそれを監視すること以前に、結果としてすら何がおきたかもわからなくなるというのだ。

ああ、なんということか、進化したアルゴリズムは神の見えざる手と区別がつかない。


アクチュエータ、運動機構

体重移動をするだけで進みたい方向に運んでくれるセグウエイのように、ボタンがないエレベーターがあってもいい。ラピュタのように目的地まで案内してくれる飛行ブロックがあってもいい。

ただ、運動機構は現代科学において難題だ。例えばロボットの価格はまだ高い。これは運動機構であるサーボモーターがたった一個で数万するからだ。なんでそんなに高いのん?って聞いたら、制御がやっぱり段違いなんだと。スイッチのオンオフしかできないようなモーターでは細かい制御は無理ちんらしい。


ロボでサバゲの多脚ロボットは一体10万以上するロボを2体ばらして、つくるそうだ。
http://youtu.be/sr7gehSsKXo


キネクト+ヘッドマウントディスプレイでロボを遠隔操作という謎い技術をやっている人がいた。これもまたとてつもなく未来だ。このロボットなんだろうと思って調べてみたら、フランスのAldebaran RoboticsのNAOという筐体らしく一体176万もしよるのだ。たっけぇ!
http://www.youtube.com/embed/pxoL4bnLp0g



先の部屋の家電を音声操作するシステムをつくった方も学習型のリモコンが2〜3万していた、結局まだアウトプット系がその性能のわりに高くついている。アシモは油圧系にだけは手をだしたらいかんという社内の不文律を破って進化を遂げたらしい。結局保守コストがあがる。近年中に大きなブレイクスルーがあるとすればアクチュエータ、出力系なんじゃないかと思う。


動物の生体組織の部分培養が現代では技術的に可能になっているので、筋肉繊維でやるとかな。
そいえば人食いエレベーターみたいな映画があったけどあれは生体コンピューターだった・・・。

ここらへんの未来についてはまたTEDなんだけど、【フアン・エンリケズが新しい驚くべき科学について共有します】この動画がおもしろかったのでついでに紹介。なんか最近TEDみまくりなんだよ。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/juan_enriquez_shares_mindboggling_new_science.html

結局バルスって

コマンドラインのような対話型のインターフェイスなら、バルスというコマンドは短すぎる。
だけど、上記でのべたように予測しうる近未来のインターフェイスは対話型ではなく補助型になる。環境センシングをされていて、すでにシステム側が準備が通っている場合、バルスという単語は、対話型コマンドにおけるリターンキー、commitにほかならない。


テレビの視聴者のように主人公を監視しつづけた無数のシステムが、(もしかしたらシステムもハラハラどきどきするようになるかもしれない。)緊張、監視下のもとにとうとう発せられるその呪文はGOサインなのだ。


140年前、テレビが映る仕組みは幽霊よりも奇っ怪だった。
110年前、空を飛んだ人はいなかった。
50年前、インターネットを想像した人は皆無だった。

人間が具体的に想像しイメージを共有しえるものは実現可能なものだと思う。

*1:まーけっとかなりあ http://marketcanary.biz/

分断されている世界を斜めに渡る

商店街の年末抽選会を手伝ってもらった若い子らと自分の干支が一緒だった…!
いやあ、商店街はオワコンだと世間ではいわれていますが、残存価値(継続価値)という面からも、コミュニティからも、仕組としても興味深いです。なんとかして近代のテクノロジーを絡められないかなぁと模索しとる間に次の干支が来るようになっちまいました。時間の流れというのは早いものですね。うつろいゆくものです。



そんなわけで、最近の気になったトピックスをだらり発信。

出版業界と電子出版

スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/21/news044.html

読者が電子出版をされない本を自分でスキャンして電子化しているのを助ける業者がスキャン代行業者です。このスキャン代行業者に対して、著名な作家さんが異をとなえたのをアドバルーンに反対攻勢をかけているそうで、そんなんで、だいじょうぶかいなと思いました。

紙の出版業界はいよいよもって大変そうですね。放送メディアの人が指摘していたのだけど出版社には広報とか宣伝の部署がないと。担当編集者次第だと。だから担当がつかまらないと作家とコンタクトもできないのだそうです。本の販促なども担当任せ。
長らく出版社のお客さんは取次会社であり、取次は本屋さんがお客さんで、本屋さんは売れなくとも再販制度があるしで長らくまわってきた。だから、どんな本が最終的な読者に求められているかが、そもそも出版会社は興味がなかったのかもしれませんね。売れなければ重版しない的な。業界慣習が固定化して組織づくりがされてしまったのかもしれません。日本の家電メーカーも同じような感じで、いいものを作れば売れると長らく売る側の論理で市場がつくられてきました。
どのようなものが求められているか、せっかくそれが露見しているのに、そんなことをやっていては環境変化に耐えられないのではないかと心配です。出版側の電子化対応だって素人目にみても2年はかかります。このままでは環境からくる変化に対応できず作品をいくつも保有している出版社が倒産?そんなことでは、かつての日本映画業界のように債権者の権利関係を整理できず死蔵となってはあまりに悲しい。強く懸念します。ま、今のままだと、同じ道たどりそうだけど・・・。日本は仕組み上しかたないのだけど倒産時の清算下手糞だからね。


著作権
万国著作権条約ジュネーブ条文)、1952年に確立した比較的近代の権利。
誰が著作したかという著作者人格権はともかくとして、公衆送信権などの財産権については、今後大きく形を変えるのではないかと思う。特許などの知財についても同様。
プログラミング界隈のライセンスも取っ散らかってるもんな。実情にそぐわなくなっているので知財系は世界的な条約で再整理されるんじゃない?

あと、関係ないけど、人のキンドル借りてサンプル書籍のページをめくってたらいつの間にか買ってしまったようです。この場を借りて、お詫び申し上げ奉ります。


政治と教育

http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A91E0E3E2E1968DE0E3E3E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5
石原知事は、地域政党大阪維新の会」(代表・橋下市長)が府議会などで成立を目指す教育基本条例案に興味を示したといい「都でも出してみたい」と話したという。同条例は教育の目標設定に知事や市長が関与する内容が盛り込まれ、政治関与を打ち出しているが、反発の声も相次ぐ。

政治の体制の変化で教育が支配されると、戦中の教育勅語的な振る舞いになってしまうので、いままで政治と教育は分断されてきた。そこに手をつっこんでかき回そうとしているのが東京、大阪の両市長だ。
言い分はもっともで、聖域化されすぎたことで、教師の雑務が増えすぎて実際の教育に手を避けないなど、システム上の不効率化は指摘されてひさしい。

ただ、教育に政治が介入すると、例えば近隣の某国がやる反日教育のようなものがその時々の体勢の都合が教育に組み込まれてしまう可能性もあり、それはそれで危険を感じる。

だがしかし、だがしかし、ようやく、公立学校選択制こそはじまったものの、教科書は配給されたものを使い、教師はあてがわれた人から習わざるを得ない現状は、民主主義的ともおもえないし、正当な競争原理が働いているとは思えない。社会人になったこともない人が社会に出る子供たちを教育するのは適格なのだろうか? 大学などの専門教育ならなおのこと。どこぞの国みたいに10年も学校にいたら、5年ぐらいは外に出て、企業やフィールドワークで研鑽する制度ぐらいはつくろうぜにゃろうめぇめ。


あと、納税とか勤労とかを国民の義務とするなら、義務教育の間に納税の仕方ぐらい教えようよ。
まず、そっからじゃねぇかな。


あんま行き過ぎもどうかと思うけど、現状もどうかとおもうので、順を追ってほどよくいい具合に変わっていけばいいんじゃないのと思う。都知事大阪府知事も急先鋒だから、保守体制と必ずぶつかるので、足し引きちょうどいいぐらいなのかもしんないけど・・・。


幹事と税金

例えば、毎年開催されるほとんど強制参加の忘年会で会費を集められるとする。
最初は会費4000円ぐらいで、まあおいしい料理とか出てたのだけど、最近は会費が9000円ぐらいなのに、料理が6ピースチーズと発泡酒1本だけみたいな感じになってきているとする。
幹事が悪いからだと、幹事をころころ変えてみてもどうにも改善しないまままた年は暮れ、みんなが憂鬱な忘年会がやってきた!
料理はよくしなければいけない!
いいお酒を出さなければいけない!
そのためにはさらなる会費が必要なんですって、いう理屈で今年はとうとう16000円ぐらいになりそうだという。もう参加はやめて、俺たちだけで飲みにいっちゃう?と若い連中が言い出したとする。
これが分断された世界!


税金はみんなから信任された人物、つまり幹事のような人があれこれ考えて、再分配などをして、全体でうまくまわるようにするために集められた協賛金のようなものだ。少額でも集めることで投資効率をあげるのが目的だ。だが、場合によっては、あの、その、んーと、そう! 不幸な理由で効率が出なくなることもある。


お金持ちさんが海外に引越してしまって、大口の協賛金を出してくれなくなったとか、若い人達が忘年会に参加してくれなくなっただとか、過去のおいしい料理が忘れられずいい料理ばかり注文するだとか。ベテランの芸者に払うギャラが高いんだとかなんだとか。残った人の頭割りになるので、会費は更にあがって大変なことになる。やれやれだぜ。
若い人が持つ労働価値を提供しても資産が得られないのであれば、労働意欲がなくなって当然だ。



↓いい図があったので借り物。

縦軸は政府債務の対GDP比、横軸は千ドル単位で表した国民一人あたりの政府債務、そしてサイズが債務の総額を表していて、右上の赤丸が日本です。
http://d.hatena.ne.jp/okemos/20111221/1324450108

忘年会を継続するために、会費をあげればなんとかなるものかもしれない。
チュニジアは20年、エジプト30年、リビアだって40年は持った。北朝鮮だってまだもってる。
ただ、6ピーチーズがおせちにのっちゃってるレベルになると、さすがにみんな怒りだすから気を付けないとダメだと思うよ。来年は本格的に復興にのりだしていかなきゃいけないんだし、まあなんつうか、大変だけど、前向きにいきまっしょい。



税収の推移
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/010.htm

みんなが儲かって税収とかも自然と伸びるといいね!

「パーティーでかけたい曲」

http://d.hatena.ne.jp/shimamura-music/20111215/1323914813
これに答えるとデジタルDJコントローラーがもらえるらしい。

曲かー。んー。そうだなー。
ででーんと、宇宙戦艦ヤマトのトラックにアンパンマンのボーカルトラックをミックスして、それだけで1時間、ずっと遊んでやるよ!
そんなピストンさんみたいなことはできないんだけど。