無尽無心御恩送り元の黙阿弥

昨夜夜遅くにやっていた、井上ひさし「黙阿彌オペラ」が面白かった。
チャンネルぱちぱちで見掛けただけなのに見入ってしまい終わったら日付が変わってAM3時になっていた。
でも満足。ヨハマンゾクジャー!
http://www.nhk.or.jp/bs/premium/playlist.html?st=20120128

オペラとあるが、8時だよ全員集合的なセットで展開される舞台演劇だ。正直、舞台とか演劇とかをいままで欠片も面白いと思った事がない。だけど、たまたま見掛けた場面の台詞まわしがおもしろくてなんかぐっときた。誰がでてるとか、誰が書いたとかまったくしらなかったのだけど、あちらこちらに細部にまで考えられた後があり、ほぅほぅと思いながらみていた。ストーリーの構成や展開が落語の人情話みたいな感じなのもいい。三遊亭圓生あたりの話芸を演劇にするとこんな感じだろうという世界。井上ひさしって、ゲゲゲの鬼太郎にでてくる登場人物か?ぐらいしか物覚えがなかったのだけど、名前が売れているのにはわけがあったんだな。


さて、観劇の寸評を私が語ってもしょうがないので、面白かったからオススメだよというのに留めておく。
劇の中で効いてる風刺については、あれこれ考える価値があるのではないかと思うので、書き留めておこうと思う。風刺の意をくむのに少しストーリーや設定を紹介せねばならない。


おぅ、そうだな、話しの筋はこうでぇ。
時代は江戸後期から文明開化の数十年間。江戸は柳橋蕎麦屋を舞台に知り合った人達の縁を描くってなもんよ。そいつらは蕎麦屋に捨てられた女の子を育てるために「株仲間」をつくった。出資金を出しあって、その子を育てるってんだ。粋な話しじゃねぇか。そこであれこれあるってな寸法よ。

株仲間と無心

株仲間ってのは、株式取引をしている仲良しのことじゃねぇぞ、なんせ黒船の時代だ。挑むために出資をしあおうっていう仲間のことさ。例えば貿易船をだす、うめぇことやって船がスパイスでも積んで帰ってきたら出資分に応じて株仲間で儲けを分け合うって寸法さ。それがここじゃ、子供を育てるのに株仲間をつくりやがった、みんなで出資しあって芸事など習い事を沢山させてあげよう、きっと15年後には器量よしになる、柳橋花柳界だから立派な芸妓になれば身請け金でおつりがくらなぁって算段さ。ちょっとした人身売買だけど、といっても、本当に連中が金儲けのためだけにやったわけではない。仕事にありつけねぇやつとか、食い逃げしようとしてた奴が無心された金を15年先に出資してんだ。げに真の出世払いよのぉ。

御恩送り

ぐっときたねぇ。いい話じゃないか。捨てられたお千ちゃんが株仲間の出資をうけて翌日に古着を買いに行く。古着屋は米と漬物を買いに行く。ひとつの恩は送られていろんな人が生きるために使われる。ご恩っていうのは廻るってもんだ。使うことによって巡り廻るんだ。消費されるもんじゃねぇ。ガキのころ先輩におごってもらったとき言われたんだ、俺に返さなくていいから、後輩ができたらおごってやれって。ペイ・フォワードだな。

税金と銀行と無尽

ころがりこんだ幸運で連中は銀行をつくることになる。文明開化組の浮かれぐあいに水をさすように、頑固ものが反対して、仲間に亀裂がはしるわけだな。「なんのための仕組みか、誰のためのものかそれを忘れて、作りだけを真似しても決してうまくいきやせんよ。」ってな具合にな。

ここが実に現代の様相と重ね写しのようだね。
江戸時代後期まであった無尽の仕組みは、仲間内でお金を出しあって、それをまとまった額にして融通しあう形だ。ソーシャルレンディングだな。興味があるなら無尽とか調べてみるといいぜ。

そう、でもな、仕組みを学んで(真似んで)もしかたねぇのさ。
一生懸命、金儲けの仕組みを考えても、それが誰のためになるかとか、どういう風につかわれるかとか、おめぇさまがたは一分も脳みそを使ってねぇ。いい台詞じゃねぇの。そうだよ、仕組みづくりに血反吐をはいてカラクリつくるが、それがどう廻るのかを考えない。オバマも言ってたな。それが機能するかどうかが問題なんだって。他がうまくいったからと声色真似たところで、そんなもんは廻らねぇって。


御恩送りや無尽が人と人を数珠のように横につなぐのに対し、明治以降の銀行の仕組みや政府の仕組みは、一度元締めが徴収して分配するという縦につなぐ幹事方式。マスメディアのありようが、ソーシャルメディアに変わりつつあるように、現代でまたすこし横のつながりに変化しつつある。


せっかく無心で恩を送っても、銀行で止まる、政府で止まる、政治家で止まる、組織で止まる、ぁあぁ、ちっとも廻らないねぇ。何?子供が捨てられている?養護施設に送れ。寄付をしたい?銀行を使って送れ。運営資金で足りない分は税金で補っている。税金は会社が集めろ。勤労は義務だ。納税も義務だ。なに?儲かってなくて払えない?金を借りろ。公的支援助成もあるぞ。金を貸してやるから税金払え。なんだと!?税収が足りない!?金を配ってやるから税金払え。


少ない負担で、効率をだせるように考えぬかれたのが税金や銀行などの仕組みであったのだが、いつのまにかまた廻らねぇものになってきちまった。耐久消費財が増えすぎて、トラフィックポイントが増えすぎたからだとおもうけど、あぁ、だからといって、ここでまた誰が何のためにそうなったかをわすれて、金利が悪いとかイスラム金融とか仕組みだけ真似たところで、そりゃおめぇさま、廻らねぇってもんよ。バランスを欠いたら元の黙阿弥と相成るのであります。