ハイエクと仁徳天皇、ケインズとクフ王

西暦313年に在位した仁徳天皇には「民のかまど」という逸話がある。
夕時に街をみたら民の家屋からほとんど夕飯の支度の煙があがっていない困窮する民の生活をみて3年租税を免除を命令したというお話しだ。民の生活が戻ったあと課税を進める家臣を聴かず更に3年続けたという。

人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87


実際はどうだったのかはわからない。
朝廷が徴収しなくても豪族は租税を課しただろうし、免除をしても朝廷への献上物などはあったことだろう。だとしても寄付だけで6年まわせる政府ってちょっと信じられないね。


現代の政党政治パトロンがついて、それに少なからず影響をうけ税の再分配をおこなっている。耳障りのいいことを言った人しか当選しない仕組みのなかで徴収された税金が分配される。
ま、なんつうかあれだよな。
いっそ集まった寄付金だけで予算組めば?とか思ったりもする。義務徴収しないとお金が集まらないと思ってるんだろうね。実際は税率あげても全体が困窮すれば集まらないと思うんだけどね。



朝日新聞にエダノミクスvsマエハラミクスとかいうわけわからん記事がった。
ケインズハイエクを縦軸に、横軸を政治家の枝野と前原にした代表的な政治家のポジションマトリクスにしている。
http://digital.asahi.com/20120109/pages/politics.html

内容はともかくポジションマトリクスを作って視覚化するのは面白い取り組みではある。
人物名を評価軸にするんじゃなくて、経済か社会保証ぐらいの図にしておけばよかったのにと思う。そうすればもっとわかりやすいのに。


個人的にはケインズハイエクも言っていることはもっともだと思うが、経済に政治が絡むとろくでもねぇことになるのが大概だ。経済に関する未来予測は干渉可能な未来だ。予測を政策によって干渉することで外すことができるからだ。
例えば、円高になると予測されれば、円安にすることができる。予測は外れることになる。精度の良い予測は実行力の高い政策のもとでは常に外れる。ネガティブな未来予測は常に外れなければならない。
逆に政策がうまくいっている間はその実効性は観測もできない。失敗して初めて気がつく。よい予測も、いい政策も優秀であればあるほど事前に手当がされてしまうのでわからないのだ。

経済学者的因果関係はブラックジョークでしかない。(真面目に検索する人がでると悪いからいちおう断っておくと疫学的因果関係とかのパロディね) 結果、口ばっかりの評論家や批判家ばかりが幅をきかせることになる。残念だね。




ハイエク新自由主義という考え方がある。
小さな政府に代表されるように、税金とか政策は最小限に、介入はせんでおこうというスタンスだ。社会保障すらもいらないよねというお話。例えば東京都の最低賃金は現在850円だが、こういう雇用に関する規制があることで長中期的には雇用機会や労働学習の機会を奪うことになる。社会はもともと柔軟性や迅速性をもっているものだから邪魔するだけだから介入は最小限にしようというお話しだ。


ひるがえってケインズは経済に介入し、刺激する必要があるっちゅうスタンス。
まあ、俺からするとケインズだとかハイエクとかふーん程度なものなので間違っているかもしれない。


んー。ちょっと検索してみたけど、あまりいい纏めがないな。
これが一番わかりやすいw



ケインズハイエクの100年前の古典論争からさらに古代にさかのぼってみる。仁徳天皇は政府の介入をやめ小さな政府で急場をしのぎり、ピラミッドを作ったクフ王はさかんな公共事業投資を行った。


古代の経済や政治はシンプルだ。
不作で飢饉の時に、税として米を徴収しようにも徴収すべきものがない。
現代のように国債を発行しようにも現物の食べるものが無ければ空手形は切れない。故に生活も改善しない。だから仁徳天皇は民の生活を回復させるために租税や武漢を免除した。


ひるがえってクフ王。ピラミッドは公共事業だったといわれている。
農閑期に人々に仕事を与えるために事業をおこした。報酬を与えることで、農業従事者以外も収入を得ることができ、社会を支える様々な技術が発達した。ハイエクケインズ。どちらがということなどない、どちらも重要である。その適用すべきシーンが違うだけだ。子供に勉強しなさい言い続けると勉強をする気が減るみたいなものだ。介入すりゃいいものでもないし、介入しなくてもいいものでもない。



若者は「働ける」という労働資産をもっている。労働資産をさまざまな資産に変えていくのだ。充分に働いた老人は資産を持っている。資産があれば働けなくなっても若者の労働力を買うことができる。
最近の若者は働かないという。
若者に働いたら負けかなとまでいわせしめたのは働いても得られる資産が少ないからだ。少ない? いや、その得られるものにたいする評価が低い、価値をそこまでのものと認めていないということだ。
手に職をつけても10年後には使えないかもしれない。10年下働きをしても、将来にその会社はないかもしれない。お金を稼いでも老後にはつかえないかもしれない。などなど理由は人の数だけある。


20年後、日本の労働人口は2/3になる。人口動態をみると現代の日本は労働資源が枯渇することが確実に予測できる。今、生まれていない子は20年後に20歳になることはない。干渉ができない未来だ。


この人口が問題。政府の未来への借金は人の労働力の先物取引をやっているようなものだ。限月がきて決済しようにも未来の労働力は物理的に少ない。公共事業などにおいて、耐久消費財に投資をおこなってしまうと経済への還流もあまり見込めない。ラッパーのハイエクの言う迎え酒状態だYO!


労働力の合計量の減少が見えている中で生活水準を保つためには生産性をあげるしかない。
Σ(労働人口×生産性)-Σ(人口×生活費)=経済
こんな風に経済を模式化したとすると、非労働人口労働人口の比率変化が2倍ぐらいにもなるので生産性を2倍にしても現状維持ができない。


将来を考えれば生産性の向上に寄与、評価できないものに投資、介入をつづける合理的な理由はない。だけど、合理的じゃない理由はいっぱいあるからしょうがねぇんだろうな。

予想通りに不合理。
無理が通ればなんとやら。

増税までするほど政府が市場に介入しても未来は明るくねぇかもしれない。日本だけの話しじゃなくてね。将来的にみれば生産性に寄与する知的財産の部門でどんだけ投資成果をだせるかにかかっている。
途上国においては、人間の健康に投資して病気を防ぐのが統計上経済成長の速度をあげたというし、日本のローカルケースを考えると老齢人口に投資して、健康管理で労働人口あげるのが現実的策。


このままいけば未来明るくないかもしれないけど、自分は楽観視しとる。
なぜならネガティブな未来予測は常に外れることになるからだ( ´,_ゝ`)