経営、はじめの一歩

人生の棚卸の時期なのか心機一転モードに入ってます。
会社設立から3年が経ちました。
会社といってもひとりでやってきたので個人の裁量内でのんびりやってきたのですが、
さすがにいつまでものんびりはしていられないなと最近とみに感じています。


右も左もわからずしがみついてきた時期も過ぎ、ようやく回りは見れるようになってきたのだけど、代わりに自分を見失ってしまいました。
日々の雑務にもまれ、やろうと思っていることもできずに、やらなければならないことに埋もれてしまうことも多くなりました。
計画や目標をあらためて立てなおさなければならない時期なのかもしれません。
そんなわけで日記で自己整理をかねてこれからしばらくは状況整理や思考を書いていこうと思います。
・・・。
いままでの日記のトーンと違っていささか堅苦しいですね・・・。


まえおきはさておき、まずは「経営とは何か」について考えてみます。
このあたりは先人達の知恵をお借りして、企業経営理論あたりから紐解いてみたいとおもいます。

経営とは

経営学という観点から言えば*1
狭義としては
「戦略を立てる・組織をつくる・人を動かす」
広義としては
「企業のあらゆる活動を維持・継続させ、存続させること」
とあります。


自分の場合、ひとり有限会社なので「経営」というのもおこがましいです。
1人なので組織すらつくれていないですからね。
ですが、個人事業主を含め、ひとりで会社を切り盛りされている方はとても多いです。
この場合の経営における組織化とは横の連携(会社同士の提携)なのではないかと思います。


さて、社員を雇って組織を作る場合ここには人の問題が大きくかかわってきます。
今の会社をやる前に別の会社の設立に携わったことがあるのですが、個人的にはとても苦い思いでです。
親会社的な母体があり鶴の一声ではじめることになったのですがあまりにも価値観がちがいすぎ挫折しました。
価値観の違う人達にベクトルをそろえようと努力するのは文字通り心が折れます。


その経験から人と一緒にやることに対して結構ナーバスになっていた時期がありました。
お店も自分のやろうとしているカルチャーができるまではひとりでいこうと決めていました。
ひとりならそれがもし失敗しても許容しうるダメージです。
そういう意味ではこの3年は身の丈の範囲内でほどよく失敗してこれました。
いささか回りくどくゆっくりした道ですが、そうではない道が性にはあわなかったのを痛感したあとだったのでいたしかたないかなと考えています。


経営を定義する狭義にも広義にも含まれていませんが、会社のカルチャーというものは抜きに経営は考えてはいけないと思います。
なぜなら経営にたずさわる以上そこには善良なる管理者としての注意義務があるからです。
そのベースとなる「善良なる」とは何かがずれたまま経営にかかわってしまっては双方不幸になります。
何を善しとするかを抜きに、戦略、組織、ましてや人を動かすことはまかりならないと思います。


法律や社訓などとしてかならずしも明文化される必要はないと思いますが、狭義、広義のまえに仁義ぐらい大切なものですね。
何か任侠道みたくなってしまいましたが、不文律、暗黙知だとかいろいろ言い方はあるかもしれませんがまずはこれが重要なことだと思います。


ちなみに、うちのばあい善しとするのは「かかわる人を喜ばせる」で、悪しとするのは「かかわる人をくいっぱぐれさせる」です。
原始的な世界に置き換えた場合、仲間を連れ立って狩に行ったのに獲物もなくかえってきたのでは空腹に沈むばかりです。
逆に獲物や収穫物をもって帰還すればかかわる人達を幸せにできます。
自分の解釈としては、そのための「戦略立案」であり、「組織化」であり、「人を動かす」なのだと思います。



経営とはに立ち返り次は戦略を見なおしていこうと思います。

*1:cf:中小企業診断士 企業経営理論 日本マンパワー