音楽業界における脅威の顕在化

経歴もある音楽プロデューサーが飯の種としての音楽をやめるだとかなんだとか。現代を象徴しているかのようだ。

楽家が音楽を諦める時
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html


パーソナルコンピューターのプログラミングエンジニアを前に、オフィスコンピューターや汎用機のエンジニアが昔は筐体代が数千万してうんぬんといっているような望郷感を覚えた。昔は開発環境、商品もしくはサービスを提供するために必要な投資が大きかった業界は様々あるが、どうも音楽産業もそのような業界であったようだ。
音楽をビジネスとして捉えた場合、経営戦略:ストラテジーに定義される「脅威」が教科書どおりに顕在化したかのようで、ケーススタディとして興味深く面白いので勉強ついでに少し分析してみようかと思う。


かつて、音楽業界は寡占的であり、暗黙的談合下にあり標準を上回る利益をあげることができた。これが完全競争に近づきつづある。

完全競争に近づく業界には、新規参入、競合、代替品、供給者、そして購入者からの、高いレベルの脅威が存在している。この種の業界にいる企業のパフォーマンスはよくて標準レベル、生き残るのにやっと

完全競争下であれば経済パフォーマンスが下がるのは当然だ。完全競争を避けるためには新規参入などの脅威を取り除かなければならない。例えば「規模に無関係なコスト優位性」を「参入障壁」にする場合などがある。


規模に無関係なコスト優位性の喪失

音楽業界における参入障壁を考えてみよう。
「自社独自の占有技術」レコーディング技術
「ノウハウ」販路、プロモーションのやりかた、CDプレスの発注先など
「原材料への有利なアクセス」ミュージシャン、タレントの発掘
「有利な地理的ロケーション」この場合は対メディアロケーション。テレビに出せるとか
「学習曲線によるコスト優位」演奏技術やレコーディング技術における専門性の高さ


音楽業界において、これらの規模に無関係なコストの優位性が失われ新規参入や退出が容易になったのではないか。DTMDAWの進歩は目をみはるほどだ。GarageBandiPad版などいまや450円で作曲環境が手に入る。いれてみてすごすぎて泣いた。ウタダヒカルのライブでもメンバー紹介のときにプロツールスを演奏メンバーとして紹介される。ICTの技術革新は音楽業界においてもプレゼンスがある。電子楽器が進歩することにより、3歳のころから練習を詰むような楽器演奏はマニュピレーターなどの介在で1年練習の素人と結果としての違いを見出すことは非常に困難だ。youtubeから成功を収めるミュージシャンは多いし、CDをプレスしなくてもiTunesに並べることができる。タレントは自らニコニコ動画でナマ主になりプロモーションをおこなうことができる。規模に無関係なコスト優位性はほぼ喪失したといえる。


規模の経済による優位性の喪失

かつては一枚のアルバムをつくるのに一千万を超える投資を行わなければならなかったそうだ。今はどうなのだろうか?それが例えば、宅レコ(自宅レコーディングの略)をしたものと結果として比較優位がない場合、初期投資の経済的合理性はない。求められているものは綺麗なレコーディングされた音楽ではなく、もっとラフなものだという可能性はないだろうか。その場合、綺麗に録音された音楽は市場の需要を満たしていないだけでなく、回収不能な投資をするビジネスということになってしまう。それはビジネスとしては失敗だ。


規模の経済による優位性の喪失における脅威は古参起業に対して、別の経営上の脅威をもたらす。

技術革新などで小ロットでの生産コストが下がった場合。古参企業はコスト効率の悪い生産技術で操業しなければならない。

つまり、かつては参入障壁として機能した規模の有利が環境の変化によっては足かせとなってしまうのだ。これは特に技術革新の目覚しい業界では、サドゥンリーデス(昨日まで価値があったものが突然無価値になる)として知られる。製造業などの先行投資の大きい業界ではまさに死活問題だ。ICT進化の影響を免れた業界はなく、音楽業界にも技術革新の余波がとどいたのだろう。


競合の脅威

ある業界に一社でも一定上のパフォーマンスをあげている場合、その業界には新規参入の脅威と競合の脅威は常に存在する。音楽業界における競合の脅威は、海外の供給者も脅威として含まなければならない。ある時代までは競合として考えなくてもよかった。CDまでの時代は輸入盤などとして区別があったからだ。しかし、デジタル化がすすみ、まさに音楽に国境はなくなった。レディ・ガガの音楽は、販売者にとってビジネスチャンスではなく競合としての脅威だ。アメリカならまだいい。経済水準が日本とほぼ同等だからだ。しかし、将来的には時給2ドルでも喜んで働いてくれるプロ音楽家との競合が待っている。日本の産業音楽の場合、この海外の音楽の競合の脅威を無視しすぎたのではないか。


代替物の脅威

音楽以外の代替物にユーザーが流れたのではないかという話しが聞かれる。娯楽品としての音楽はサービスとしてはお笑いや映画、マンガやアニメ、ゲームなどとも競合する。遊興時間として確保できる顧客の時間は有限であるので、音楽の代替可能性は高くあらゆるものと競合してしまう。この脅威は非常に高い。

供給者の脅威

ミュージシャンが自分でプロモーションして売るという前方垂直統合がおきた。

購入者の脅威

音楽を聞いて楽しむ人が音楽ツールの発達により自分で音楽をつくって楽しむようという後方垂直統合がおきた。



かんそー

(´、丶)ゝ。oO(これらの脅威の払拭は難しそうだ…)
脅威の割合がどれも非常に高いし、既に顕在化しているように思う。


海外の脅威を避けるか戦うかでとりうるオプションがだいぶ違う。競合としての脅威を避けるなら、尺八や三味線などの楽器や、歌詞の日本語などという参入障壁を磨いて、日本のマーケットに対して戦うか、海外にうって出て需要を狙うしかない。そのためにはいままでのノウハウはほとんど役に立たないだろう。
先の音楽プロデューサーの悲観については、規模に無関係なコスト優位性が奪われただけで、別に他の競争優位を失ったわけではないので戦略のとりようはいくらでもあるように思う。
時代が進んでビジネスロジックが機能しなくなっただけで、海外ではレコーディングされたものはプロモーションとしてタダで配って、ライブで稼ぐというようなビジネス形態が一定の成功を見ているようだし、成熟産業であったものが一転、収益回収の方法において未成熟産業になちゃっただけなのかも。一度、成功学習があるとなかなかそれをどうこうするのは難しいもんです。

まあ、でも今の時代どこもそんなだよね。経済全体が収斂したり不安定になってるから、稼ぎ方がわかんないやーみたいな。