クチコミニケーションにみるスッペぇぶどう

英語圏ではグレープバインは「ぶどうの蔦」という文字通りの意味よりも、口伝、人づてという比喩でつかわれる。ロングマン英英辞典によれば、人と人との会話によって広がるさまがぶどうの蔦のようだからグレープバインというらしい。

http://eow.alc.co.jp/grapevine/UTF-8/?ref=sp
〈話〉〔情報やうわさの〕口伝え、口づて、人づて◆【語源】ブドウのつるの様子が電信線に似ていたためと考えられる。◆【語源】ブドウのつるがあちこちに伸びて網のようになっている様子から

アルクの辞書だと、語源は電線だそうだが、こんなシェイクスピアあたりが使いそうな古めかしい表現を電線とかいわれるとちょっと違うんじゃないかとも思うが、まぁ、どーでもいいや。



さて、このクチコミ/ぶどうの蔦。当然、野生種のなかには強烈にすっぱいものもある。
だが、農家により大事に育てられ、市場で競りにかけられ、果物屋が食べごろを見計らって選別したぶどうだけを食べている人の中には、野生のすっぱいぶどうを口にして「なんたるちぁ!」と、怒る人もいるらしい。


http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
自分が発信する情報の価値について、「信頼性の高い第三者」を呼び出して、それに吟味と保証を依頼するという基本的なマナーが欠落しているのである。

マナーや暗黙的なルールはお郷によって異なる。果実を結ぶための最低限の水準も、売り物になるレベルと野生種では異なって当然なのではないか。情報の階層化や劣化がどうこうと、現在の風潮を嘆くのは物事の本質からは少しずれてしまうのではないだろうか。食べてるぶどうのツタが違うだけなのだ。


ぶどうは成熟度はもちろんだが実を結ぶツタごと、品種、土壌、日当たりによっても味わいは異なってくる。逆に同じような土壌で同じ品種ならば同じような風合いになることはある程度保証される。もし、スッパイぶどうを決して食べたくないというのなら、「甘いよ」と誰かが担保し、保証してくれた房のぶどうだけ食べればいいのだ。
西洋人はそれをツタと表したが、日本人は筋(スジ)として表現する。情報にもスッパイ筋があっても不思議はない。そもそも野生のぶどうは酸っぱいのが常なのだ。しかも未成熟ならなおのこと。
情報は階層で表現するものではなく筋で表現するほうが洋邦の古今東西問わぬ表し方なのではないかとおもう。


プログラミングとは情報処理だ。そのプログラムで重要なのが変数とよばれる情報の格納ボックスだが、これはポインタのような筋で紐付けされる。もしこれが、面や層で情報が来たらどう処理しろというのか?お手上げでしょ。そりゃ多次元配列や階層構造をもったオブジェクトもあるけど、そういうのを処理するためには高度な事前設計、つまり、受け渡し前に受け渡し間でそれぞれどこに何が入るかというインターフェイスを揃えて決めておく必要があるのね。


つまり、何がいいたいかってぇと、情報はプロトコル(コミュニケーションのインターフェイス)が揃ってないと、伝えたいことも伝わらないし、相手の真意も汲み取れない。逆にプロトコルさえ揃ってれば、言語ぐらい違ってもコミュニケーションは成立するよね。


野生の果実と商品として出まわる果実とを比較して、すっぺぇとか物申しても、まあ、そんな気に病んでもしかたねぇんじゃねぇかと思う所存にございりまする。甘みと酸味が強いぶどうは寝かすことで上質なワインになるんで、75日寝かしてみたりするのもオツかもしれませんぜ。




まったく、近頃のぶどうはすっぱくてたまらん! やはりぶどうは目黒に限るな!
お後がよろしいようで。てへ。


そしてなんとなく日本のロックバンド グレープバインを申し訳程度に貼っておきます。
あまり聞いたことはない。。。