アイディアは何故類似し類推可能なのか?

「kuippaにプレゼントする」というアイディアを考えてみよう。十人十色、出てくるであろうアイディアはアンカウンタブル、数えきれないよ!である。
「30代男性にプレゼントする」というふうに対称を一般化してみよう。アイディア数はかなり絞られる。これは対象が一般化したことにより「喜ばせる」という目的に沿わせるために対象の趣味嗜好を最大公約数化するからであろう。さらに条件を付与して、「女性が」とか、「予算は1500円以内で」とか、「2/14にあげる」というように条件を付与することでどんどんアイディアは類似してきて、違う人がアイディアを捻っても結果でてくるものは微細な差しかないものになったりする。

「女性が予算1500円以内で2/14に30代男性にプレゼントする。」というアイディアを着想しようとしたら、「チョコレート」という無難な発想からスタートし、チョコレートではありきたりだからクッキーにしようとか、想定されるプレゼントの種類はかなり絞られる。


最初の「kuippaにプレゼントする」という条件も、もし、私の事をよく知っている人であったり、私が今ほしがっているものを知っているひとだったりしたら同様だろう。ここではプレゼントはアイディアに置き換えて言うことができる。


つまり、利用することができる情報や条件が類似すれば、アイディアは自然似通ったものになるのである。


世間に流通する情報は有限だし、対象となる人の母数も有限だ。アイディアを着想した時期や、その時の時代背景、社会背景などは必然アイディアに大きな影響を及ぼす。つまり、情報があればあるほど、アイディアは似たり寄ったりなものになる。



だが、「女性が予算1500円以内で2/14に30代男性にプレゼントする。」というシンプルな条件ですら、我々はこの条件に含まれていない知識を暗黙知として補完していることを忘れてはならない。この条件には「ウンボボ族の30代男性」とつくかもしれないのだ。君はウンボボ族の成人男性だと最初に聞いていたらチョコレートをプレゼントしただろうか?(というかウンボボ族ってなんだ!?)


アイディアは類推できるだろうか?

公開されていないアイディアがあったとして、我々はそこに付随する情報を知ることでそれをある程度まで類推することができる。スーパーに行って、買い物カゴに入っているもので今晩つくられるであろうおかずの種類をあてるようなものだ。実際の調理方法や、隠し味、調合の妙こそ秘伝であれ推測がそこまで大きくはずれることは通常はあまりない。


通常はである。今日みてて気になる記事があった。

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20110211/1297413860
ソーシャルシリアスゲームの企画。
(略)
ソーシャルゲームの持つ強大なパワーを利用して、なにか社会をより良くするための活動に適用できないか
(略)
そして、たとえばあるチームのプレゼンを見たときの僕の反応を淡々と書いてみよう。
最初はプレゼンから目を背けたくなった。社会問題を扱うと、ときどきそういう写真を見なければならないこともある。でも、次のスライドを見て、衝撃を受けた。そして次、涙がにじんだ。この時点で僕は点数表に10を5つくらい書いた。で、次、驚いた。で、次、嫉妬した。で、次、殺意が芽生えた。で、最後、後悔した。
(略)
イデアを構成する要素は総て僕にとって既知のものだった。
なおかつ、いくつかは僕が専門的に知っているものであり、それでもって、ねえ。ウズウズするほど参加したくなる、作りたくなる、遊びたくなるような魅力を秘めていた。


ここで書かれている目的はかなりシンプルである。
ソーシャルゲームを利用したなにか社会貢献活動」だが、しかして、そこから類推されるもののなかでこの反応は引き出せない。
豚肉と生姜をカゴに入れたから、豚の生姜焼きが出てくると思ったのに豚の生姜唐揚げがでてきた!ぐらいの反応である。予想が裏切られているのに、期待に応えられている。専門家が専門の分野で予想を裏切られるという体験はちょっと垂涎の的。いいなー。


ちゅうことで、せっかくなので何がおきたのかを推理でもしてみようかと思う。

Step.1 目的に叶う社会貢献活動の類推

社会貢献活動でGoogleさんに聞くとCSRで企業の取り組みがいくつもでてくるが、どれもあたりさわりのないものばかりだ。

環境保全、奨学・教育・育成、社会共生、介護、地域社会、研究、医療...etc


社会貢献活動をするためには社会問題がなくてはならない。このうち”目を背けたくなる”ような社会問題にフォーカスすると、下記のようなカテゴリを類推することができる。

虐待、災害、自殺、犯罪
cf. http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%95%8F%E9%A1%8C

災害、戦災、犯罪被害などは深刻度はあるが罹災後の対応がメインとなり、社会貢献活動として対応するには継続性よりもオンデマンドな即応性が問われる分野である。それ以外は予防、啓蒙がほとんどとなるので、ソーシャルゲームのような人と人とのつながりでなんとかしようという分野には向かないと思う。
虐待は発見と保護こそが最上級に求められることであり、ソーシャルゲームの形をとらなくても他によい手段がありそうだ。
自殺。この中で人と人との縁(ソーシャル)でなんとかなることができる分野ではある。
関係ないが、昨年の窓の外をみたら人が降ってきたあとで相当なショックをうけた。きっとあのとき俺が見た光景に目を背けない人はいない……。

Step.2 何が人に衝撃を与えるか

もし、自殺だとしたら、二枚目のスライドに何があったのか?
おそらく純粋な統計情報なのではないか。
事実は時として理性的な人に衝撃を与えるものである。

2009年(平成21年)の日本の総自殺者数は32845人
同年の交通事故者数の6.7倍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA

これらの事実を補強し図解するだけで十分にセンセーショナルな訴求力をもった情報を提示することができるだろう。

Step.3 何ができるか

ここまでで問題を提起し、現状を説明したはずである。であれば、次の提案はそこに対して何ができるのか?となるのが一般的な進め方である。ここでは社会問題を自殺と仮定している。

前述のwikipediaさんの資料をさらに紐解く。

自殺者72%が自殺前に精神科などなんらかの相談機関に相談に行っており[18]、「いのちの電話」が設置されている地域では自殺率が有意に下がっている[7]為、相談所の拡充が待たれる。
//
自殺の原因は「健康問題」(15867人)、「経済・生活問題」(8377人)、「家庭問題」(4117人)、「勤務問題」(2528人)
若年層の学生については、2004年度の場合、「厭世」、「父母等の叱責」、「精神障害」、「進路問題」、「学業問題」、「恋愛」

もし、ソーシャルにできる対策があるとするならば、「相談」なのではないか。
相談が重ければ傾聴というだけでも効果はあるはず。
3万人の1%に効果があるだけで300人の命が救える。これは涙がにじむ理由に十分とはならないだろうか?


そういえば自殺対策白書というのがあるので、読んでみたことがないひとは読んでみるといいよ。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/index-w.html
白書好きっていったら、笑われたんだけど…。白書って面白いよね?

Step.4 どのようにソーシャルゲーム化できるか

こはちょっと悩むなー。個人的には今Nettduetto押しなので、ああいうリアルタイムで複数人がやりとりできる仕組みはとてもいいなと思うのですよ。自殺一歩手前のひとには、言葉ではなく機微をくみ取ることが重要になると思し。
だいたい冷静な判断や言語化ができなくなっているので、言葉によらないノンバーバルコミュニケーションこそが重要。そういう意味でニコ生セッション♪みたいな、映像で表情が拾えたうえ、音声にレイテンシなしというのはいいかもしれない。まあ別にSkypeでもいいや。


傾聴ボランティアをベースにルールを構築すれば、目的からは大きくは逸れないだろう。
ねぎらいや支持などのいくつかの言葉を定型で用意しておき、なごむような人工音声合成アバターでつくってやればそれなりの効果も見込める。ニコ生でスマートトークでコメントを読み上げているひとがいるけど、ああいう仕組み。
傾聴した側のボランティアに評価ポイントなどを振れば、はいソーシャルゲームのできあがりっと。


ざっと、骨子はそんなところ。
でも、これじゃフツーーだね。ゲーム性が弱いし、あんまインパクトないや。プレゼンで200%マシマシにしても涙ぐむほどにはなりそうもないや。
優秀な電通マンならどうするか?? 電通のひとなんてみたこともないので想像がつきません!
ってな感じでおやすみなさい。



あと、いまはてなダイアリーに「バレンタインチョコ欲しい!」と書きこむとはてなさんがなんかくれるらしい。5万円までだって!・・・そうだな、今はこれがほしい!とぎりぎりをせめてみる。

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