日本語にすると社会の絆

中学校のころ、いちど同じクラスになっただけの人に10年以上追いかけ回され、無言電話の荒らしをはじめとした様々なものをくらい、すっかり電話嫌いになってしまった。電話のコール音が嫌いなので携帯電話は持ってからいままでバイブ以外にしておいたことがない。会社員のころ率先して電話に出ていたのでは電話の呼び出し音を聞きたくないからだ。


逃げまわるだけなんてと人は言うが、だが、これについてはとうの昔しに俺の心は折れてしまっていて、逆らう気力ももはや残されていないのだ。かつて数人の友人がうちに泊まりにきたときに「それ」があり、勇んで代わりばんこに電話にでていたが順に青ざめ、結局電話回線をひきぬいたことがある。結局はそんなものなのだ。体験してみなければわからない。


そんな電話が10数年ぶりに今度はお店の電話にあった。受話器から心が砕け散った音がした。2度目以降はすべて留守番電話でうけたが、その日数時間で30回以上かかってきた。留守電には8件がはいっていた。結局また回線を抜かざるを得なかった。恐怖に震えたバイトくんは棚の上の荷物をとろうとして主ブレーカーごと落とすし、DENONのミニコンポも電源が勝手に落ちるようになってしまったし、健康診断の結果をききにいったら、医師から悪玉コルステロールが高いから早く結婚してちゃんと料理をつくれる奥さんをもらいなさいだの、今日結婚報道があったNHKの38歳のアナウンサーはどうだだの、なんかいろいろひどい。


ああ、そうか。この電話でまた負けてしまったわけだ。
思考の皆無さと精神的な病が合わさったものだとは思うが、5歳の姪っ子のような語彙と喋り方で紡がれる大人の声は、どんな空想のホラーよりも生命の危機をかんじさせる。ほんの一聴で、よく育った大人たちを泣かすのに十分なシロモノだ。人生に閉塞感を感じているひとは留守電に残ってるから聞きにくるといい。もしかしたら人生観がすこし変わるかもしれない。なんて些細なことに悩んでいたのだろうか! みたいに。


災害や疫病のように人間には自分の努力や心持ちではどうしようもないことがある。
無力感や挫折感を味合わいつつ頭を低くして通り過ぎるのを待つしかない。目立って目をつけられるぐらいなら、気配を消して劣等感を抱えうずくまってるほうがまだましなことだって人生のなかにはあろう。




今日は映画ソーシャル・ネットワークを見てきた。
フェイスブック創始者マーク・ザッカーバーグはモテたいとか目立ちたい見返したいというごく自然な欲求と、またそれを実現しうるギフテッドなタレントと努力によりそれを成し遂げた。そして同時に多くのものを失った。
彼は映画中ではコーディングにしか興味がないナードとして描かれていたが、金があつまった会社がどうなるか、才能だけで十分に準備のない若造がどうなるか? 日本だけでなく世界の状況もあまりかわらないらしい。
つまりはそうなる。



「あんたがたがコードの一行でも書いたのか!」
実にいい。だが実際に1行でもコードを書いた功労者達はどうなったのか。


エドゥアルドの株式の希釈化。
製作者が意図した視聴者にしてほしい解釈とは違うのかもしれないが、彼を守るためにはそうしなければならなかったのではとも思った。そうすれば彼は譲渡なしに提訴により割り当て増資かそれ相応の賠償額をリーガルにうることができる。何かあったときのことをかんがればよほどよいリスク分散だ。



札束をその口に突っ込んでやるから黙っててくれという人たちに囲まれて何かをやるのはしんどく耐え難い。詰める札束がそこをつこうものなら喰いつかれる。ヴィクトリアズ・シークレットの創始者ロイ・レイモンドはなぜゴールデン・ゲート・ブリッジから、冷たい水の中に飛び込まなければならなかったのか?破滅は失敗につきものなのではなく、成功にこそつきものだ。



マークは億万長者であることで幸せでいられる期間はあるだろうか?もしそれがフェイスブックのクリエイティビティに関与できなくなっても彼は幸せでいられるだろうか。
彼が才能をつかえているのはファウンダーがいたというのもあるが、ファインダー(見出す人)がいたからでもあるとおもう。



世界は白い粉と決別ができていないようだ。
ソーシャル?クラブ?秘密で会員制?
tea party?cocaine partyとでも名乗ればいいじゃない。She don't lie〜♪
日本もお家事情はあまり差異がないのかなともおもう。中枢奥深くまで入り込んでしまっている。
人間のやることはアヘン戦争満州事変とかのころとあまり変わっていないのではないか?浅慮な謀略と受益者の少ないソーシャルがいまもあちらこちらで世界のバランスを保っている。
そういえばつい先日、懐かしい暴走族の名前を聴いた。すでに解散済みだそうだが、かつて粉をめぐって内部で対立があったらしい。仁や儀を応援したいところだが、今のこっているのは…。



バウスシアターの前で服屋の呼びこみをやっている黒人の兄ちゃんが、時間の確認、チケットの購入、入場までうろうろしてようと映画館の前をいったりきたりしていたら顔を覚えられたらしく、2回目以降、通るたびに「おかえりー」といってくれた。わずかばかりの縁で、人は戦慄もすれば、温かい気持ちにもなる。俺のソーシャルはこんな範囲で精一杯なのである。



フェイス・マッシュ
画面、すごく既視感があるのだけど、日本でも見れたんだっけ?
にたものあったよね?