ITドカタを笑ってすましてちゃだめだろ

情報関係のエンジニアがシステム土方の話を聞いて、鼻で笑って読みながしてしまうのはあまり健全ではないとおもいます。紅茶屋からみてもわらいごっちゃない。


彼らにはスキルが無いんだ。
彼らには新しい技術を学ぶ学習意欲がないんだ。
彼らはバカだからそうやっているのだ。
そのように結果からだけ断じ評価してしまうのは簡単ですが、本当にそれでいいのでしょうか?
本当に他人事でいいの?



元ねた

派遣PG時代の思い出
http://togetter.com/li/41782

情報を共有しないシステムエンジニア

情報通信産業の従事者数は建設や小売、飲食と並ぶほどの人数が従事しています。また、産業規模としては自動車産業を抜いて日本で一番の産業です。統計上は日本の産業はすでに情報通信産業が基盤になっています。今年の情報通信白書によれば、雇用誘発数は319万人、波及効果をみれば755万人にものぼります。


エンジニアが多いといわれるはてな界隈ですがブックマーク数から類推するに最大でも3000人程度。アクティブユーザーをみればたった1000人しかいません。すべてのブログサービスを通じても情報発信をする人は相当限定されます。
情報通信産業に従事しているその殆どの人はネット上からは観察することができません。観測できないから存在しないわけではなく、非ネット系においては情報発信、共有をすることに利を得ず、その業務について発言していないだけなのです。



日立製作所パナソニック東芝ソニー富士通日本電気(NEC)、キヤノンデンソー



連結従業員数が多い順です。それぞれが数十万〜数万人の従業員を抱える大企業ですが、これらの企業がエンジニアの発信で公に情報公開をすることはありませんよね。ネット上に業務上必要な情報というのはないし、情報を共有するにもwwwよりも社内ネットワークに流した方が高効率だからです。
だけど不満だけは漏れ伝わってくることがあります。不平不満というのは、一般化して伝えないと相手につたわりません。そのため、「なぜ」そうなっているのかという背景は大抵置き去りにして、「ここが酷いのよー」という滑稽な部分だけが独り歩きします。旦那の悪口みたいなもんです。


自分ならどうする?

かれこれ10年以上も続いているプロジェクトで開発者が100人もいるような現場に投入されたらどのように振る舞いますか?不合理なことに目を瞑らず稟議をあげて体制の刷新をもとめますか?

私なら自分がマネージャー層として呼ばれたのであれば出来る限りのことはしますが、それでも様子をみながらです。自分が抜けたあともその業務は継続します。開発メンバーへの周知徹底を考慮すればやれることはわずかづつです。
もし、権限もないワーカーや特定の問題を解決するための要員として呼ばれたのであれば、郷に入れば郷に従えで変える努力すらしないかもしれません。自分のまわりの錬度だけあげても致し方ないからです。組織はある程度に一様であることで強みを発揮すると思っています。開発着手中にマネジメントに変更を入れて組織にむらをつくるのは人数が多ければ多いほど死亡フラグ以外のなにものでもありません。


現場を変えようと取り組んでも結果として何も変わらないことはよくあります。また、よしんば何か新しいものが導入されても最初の目論見からはねじれた形で運用されてしまうこともあります。
慣習やしがらみという壁はそれほど厚いものです。オフコンが反対の部屋でいまだ現役でデータをあげてくるのに、自分のまわりだけ新しい体制を導入したのではひっかきまわすだけです。運用教育にまつわるコストは、おそらくWEB系の方々が思われているほど低くはありません。


なぜ不合理か

日本の場合は業務にシステムをあわせることが前提となっています。システムにあわせて業務体系を刷新するなどということができません。ものすごくバカらしいですが、これは法律的にも、商習慣でも、また雇用を守る意味でも日本では必要とされている不合理です。連続性が求められるので歴が長いほど変更は困難になります。過去から現行まですべてに手をいれなくてはならなくなります。雇用にもかかわってくる問題になります。雇用は業務よりさらに硬直的です。


プログラミングが肉体労働と化してしまった現場を揶揄してITドカタといいますが、システム開発案件をそのものずばり「工事」と呼ぶ現場もあるとききます。お客様から予算をもらって行うのが工事であって、工事のやり方の変更をするためにお金をもらっているわけではありません。また現場の管理官にも割り当てられた業務以外に人をさくことができるような決算権限はありません。経営は利益のなかから投資として教育に取り組まねばならないのですが、教育については効果測定が難しく経営側からは資格のような評価しかできません。
延命処置だけを繰り返すシステムと同居をつづけるためには、わかっていても不合理なやりかたを取らざるを得ないことがあります。局所的には不合理のかたまりですが変更から発生する混乱とコストを考えるとそれが結果的には合理的だったりします。なんかどっかの国の政治みたいなものですね……。


情報化、電子化はものごとを合理的にして効率をあげるのがその主たる役割ですが、対極の仕事をつくる(増やす)システムを要求されることがあります。個別に評価すればバカそのものですが、それを組織全体として評価すると、評価が反転したりします。サイレントマジョリティを考慮すれば結果は逆転するようなものです。←いいたかっただけ。
ゲームに負けて試合に勝つ。接待ゴルフはゴルフが下手くそな人には務まりませんし、引き分けしか許されない碁をうつのはとても困難なことです。バカには務まらない仕事です。そしてどうしょうもなく虚しかったりします。だから世間では愚痴だけ目につくのでしょう。


笑いごとじゃない世界

今年の情報通信白書からの情報になりますが、金融・保険以外の産業では、ICT教育をまったく実施していない企業の割合は4〜6割だそうです。世間ではそもそも情報については基礎教育すらされていません。
2010年の現代においてもまだ「派遣PG時代の思い出」に語られるような現場が現存しているのであればそれは既にプロレスのような様式美なわけです。プロレスを見て、肉弾戦なんて時代錯誤だ、刃物とか銃器をつかえばすぐケリがつくじゃないかと言うのはナンセンスです。たとえプロレスみたいな状態でもケガをせずに続け、案件としてお金を貰えることが重要なのではないでしょうか。そしてそれを回すことができる人が現組織では優秀な人材なのです。


笑い話しのようでわらえないのが、銀行や証券のような金融、レセプトや社会保険、交通、空港、通信、物流やダム、発電など自分たちの生活を支えるインフラ基盤こそがこのようなプロレスマッチョシステムでできているかもしれないのです。


生産性をあげろなどと言われてはいますが、本当に生産性をあげると大きな混乱が待っています。
「1万行を書き直したら300行になっちゃった。テヘ」だとリアルに死人が出ます。もはや手のつけようがないのです。
1つ2つでかい会社が爆発して消しとんでくれると人材の流動性があがって俺的に面白いんですが、世間には困ったことでしょう。あまり言い過ぎるとそろそろ本当にどこかで爆発しそうなのでやめておきます。
この手のアホなやり方で案件が炎上しても、結局誰かが納めなきゃいけないからね……。


パンチカードに穴をあけてプログラミングをしていたような時代はほんの20年前。大きな組織で上にあがり成功体験を積んだ人達はこの層。Yahooが創業したのはわずか15年前。現在隆盛を誇っているIT企業が頭角をあらわしたのはこの10年です。
ですが、あと5年もすればこの業界地図もまるで違うものになってしまうことでしょう。地滑りしながら変動している現代において、そのやり方は間違っているとバカにできるほど悠長なアドバンテージを確保している人はいやぁしませんぜ。


それが本当に「間違っている」のであればそれはいずれ淘汰されます。だけれども旧態然とした会社と最新技術をおいかけまわす会社、5年後にどちらが存続しているかは結構微妙な勝負なのではないかと思います。
現在もそんなやり方をつづけられているのであれば、やり方としては間違っているけれども全体としては最善手ではないにしても適手なのでしょう。


んー。
反論したくても発言できない人たちのために擁護しようとしたんだけれども、あんま援護射撃にならなかったね。



もうちょっと、人の創意工夫が妨げられないような環境になればいいんだけどね。
まあそれをするためには、いまのところ自分で金を出すぐらいしかないのかな。
他にも、いいやりかたがあれば教えてください。
半〜1人月ぐらいの仕事がポロポロあれば、活動しやすいんだけどなー。