社蓄は問題なのか

にゃんとなく、コメント欄に書き散らかすには多岐にわたりそうだったので、ふがふがと書いてみる。
もとねた→http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100510/1273472495

長時間労働は問題なのか

長時間労働や非効率、非生産的なものを問題視しているようだけど、非合理の部分で食っているひともいるわけで、合理的にされてしまったら困る人たちもいるとおもいます。あとはその比率の問題ではないでしょうか。
理論的に考えると、非効率だし、理にはあわないけど商習慣なるものとかがあって、これはすぐには変化しないものです。
習慣や慣習というものはかつては合理的で理に叶った仕組みや体制であったものが大抵です。
制度疲労とか関係各所が利権にはしることによって形骸化し、機能しなくなります。


人間の環境適応力には個体差があり、また年齢差があります。
非合理的なものはいずれ消えますが、そこに個人の生活がある以上システムを刷新するように切り替えるわけにはいきません。混乱や犠牲からくるデメリットと合理的にしたときのメリットを天秤にかけたときにどちらにバランスするかだと思います。


ダメな仕組みは消えて亡くなれと存在を否定したとこで、あるものは消えません。呪っただけでなくなりはしないのです。非効率であったとしても並行稼動の期間が必要です。


長時間労働は、労働すればするほど稼げた時代があったからできた習慣ではないかとおもいます。
お客さんを奪われるとかディフェンシブな発想から生まれたものでは?


「やればやるほど稼げた」その時代の商習慣を引きずっているに過ぎません。
途上国が寝る間も惜しんで働いているのは、いまが稼ぎ時だ!とわかっているからです。
ようやくめぐり合えた獲物を前に今日はここまでと帰路についたり、収穫を控えた稲を来月に持ち越せないのと一緒です。


こと経済に限っては今はパイそのものが小さくなっているので、それが合理的ではなくなっているだけです。成功体験に引きずられ長時間拘束を強いるひともいるとは思いますが、環境が変わればそのような人が成功するパターンもあるので平行稼動は大切です。なので結局は割合の問題かなと。


ライフワークとライスワーク

楽しくて楽しくしょうがなくて、寝食をわすれて没頭する人というのがいます。
研究職やクリエイターなどのタイプに多かったりします。


寝食を忘れるほど楽しくてしょうがないことが仕事になっているケースもあって、これを労働問題とするのはどうなのかなとも思います。
つまり、その長時間労働を問題として解決してしまったら、本人が困る場合もあるわけです。
ワーカホリックは文字通りホリックなので、社会的生活に影響がでないようにちゃんと寝ろとか、飯くえとか、せめて風呂には入れとか、その程度で周りが心配してあげればいいのであって、「やってはダメ」と行動を制限しては、創意工夫を阻害している障壁をつくっているだけにすぎません。


他方、飯を食うために楽しくもないけどやる仕事というのもあって、拘束時間に応じてお給金をもらったりするものもあります。
そういうワーカー的な現場でお手当てもなく、学ぶこともないのに時間だけ拘束されるのは地獄ですよね。
働いているつもりがお金がもらえていなかったでござる!みたいな。そういうのは泣けてきます。


隷属状態にあると思考も奪われるのは人間も動物だからいたし方ありません。
背丈より高い穴に嵌った人というのは他の人の助けなしに抜け出すことはできないので、多分文明社会として解決しなければいけない問題があるとすればここらへん。


ライフワークを労働問題として問題化してしまうのは問題だけどライスワークなのに、適正に賃金が払われないのは問題です。
しかし、原始的な例に例えますが、狩りに参加した人が獲物を見つけられず徒労に終わった時に、狩りのリーダーの責任ばかりを追求して自身の取り分の正当性ばかりを主張してたのではその群れは滅びます。
飢饉で獲物がいないのか、リーダーが無能で獲物が取れないのかは結果は一緒ですが解決方法が異なります。今は飢饉なんじゃないの?


働いているフリ

無用の用というのはあると思います。
実際に機能しているのは2割だとしても、残りの8割は全体を動かすためには必要なものです。
遺伝子にジャンクコードがあるのだって、働き蟻に働かない蟻がいるのだって、組織人に働かない人がいるのだって同じです。
取り除けばもっと良く回るかというとそうでもない。
フォールトトレランスというか、フェイルセーフというか、ホットスタンバイみたいな感じ。
正常系では不必要。非生産的。
だけども環境というのは変化するものなので、そういう体制があることで結果、継続性がうまれるんですよね。



そういえば、現在日本のぽっぽ首相はOR/オペレーションズ・リサーチ(さまざまな計画に際して最も効率的になるよう決定する科学的技法)を研究された、日本で唯一の理系出身の総理らしんだけど、全然生かされないねヽ( ´ー`)ノ


ORのwikiの説明だとなんか不十分な感じだけど、これは確かしくじった際のビジネスでいうところのBCP事業継続マネジメント)みたいな側面もあるよね? 日本はBCPを定めてるところがほとんどないのだとかいうけれど、社会全体が無駄の塊みたいなものだから必要ないのかもしれませんね。


働いているフリでも別にそれで回ってればいいんじゃないかとおもいますよ。
働いているフリとか勉強しているフリとか健気でいいじゃないですか。
リアルに休まれると士気に関わってくるので、馬鹿の考え休むに似たりとか言うけど、仕事をしたつもりで仕事を増やしちゃうひともいるので、いっそフリでもしててくれれば助かるってもんです…。


馬鹿をつかまえて馬鹿と言うのが冗談や軽口じゃないとしたら、これほど馬鹿なことはないですよね。
仕事も同様で、上司やその仕事を監督する立場にある人が仕事ができない人をひっつかまえて、「おまえは仕事ができない」と公言するのは自分の仕事できなさをピーアールするようなもの。
なんともかんとも不毛ですが、まあこれも度合いの問題か。


本当に仕事をしている人

スペシャルな人というのは実際にいるもので、才能もあって、また努力する才能もあって、そしてそれを継続する才能もあってという人は実在する。たゆまぬ努力、継続は力なりというか、もうなんていうか恐ろしいですよね。信念というか義務感なのかな?
他人からみると自己犠牲なのかもしれないけど、本人は多分自己犠牲とも思っていなくて、たんたんとやっていて気がついたら、世間や社会のためになっているみたいなひと。強烈ですよね。


例えば何千とか何万とかいう社員の命運を握っている会社の経営陣ですら、日本には数千人いるわけで、もしそういう人が長時間労働はヤダみたいな仕事に対するコミットメントだったら回らない。
労働を労働ともとらえてもないと思うんだけどね。
当人は寝食をわすれて取り組んでいるつもりが、それが世間や会社、ひいては社会のためになってしまうぐらいのサイズの人。
感服しちゃうぐらいの貴人とかに触れると、なんか変わるかもしれない。
たぶんw
でも、それを普通の人にそれを強いたところでなんの意味もないですよね。


労働時間。隷属時間。

自分で自分を雇えば労働時間とか関係ない。
セルフエンプロイでいろんな産業が回るようになればいいんじゃないかなと思う。
現代みたいな環境下では、自営業とかSOHOが柔軟でいいとおもう。なので自分はそういう風にしているんだけど、たぶん、あと3年もすればもう一段環境が変わりそうなので、普通の人はそれからでもいいんじゃないかな。いまはまだチャレンジング。
経済環境とかが変わっても生活が無くなるわけじゃなので変わってから対応するんでも遅くは無いとおもうし。


多分日本が抱えている構造的問題の殆どは年齢分布に所以する発生だと思っているので、文字通り時間が解決してくれるとおもっています。
その解決がいい意味でか悪い意味でかはわかりませんが、会社や仕事が無くなれば労働時間の長さを問題視することもなくなるよね!!みたいな。変な会社や組織があるのが許せないと言う人は戦ってもいいと思いますが、多分、外圧で変わるぐらいだったら・・・中の人たちもそんな苦労はしてないよね。


理解あるところで、これからのロードマップ的な指針を検討して、テストファースト的にやっていけば面白いんじゃないかなと思います。座学と実学はまた別もん(゜Д゜=)ノ⌒゜
アクションプランまで落とし込めれば、あとはやってみまっしょい。