解決できない類の問題

日本経済の話し。
わかっていてもどうしょうもないことがある。
日本の経済が抱えている問題が「何か」ということは比較的わかりやすい。


投資にたいして適正なリターンをえられていない。


これにつきる。
解決策などはいくつも考慮されているとおもう。
だが、実行されないのはなぜか。実行されても効果をあげないのはなぜか?
解決策を実行され、効率よくお金がつかわれるようになってしまうと困る人たちが多いからだ。
ようするに平たくいうとはなからリターンをえるつもりでお金がつかわれていないちゅうことだ。
うち捨てておくわけにもいかないので無駄がねを使い続けざるをえない。
これは病だ。
しかも完治する治療法のない。


何が問題をより深刻にしているか

効率よくお金がつかわれていなかったとしても、それが人にきちんと行き渡っていればそれほど問題はなかった。
だが高度経済成長期の成功体験をひきずったまま、一旦「モノ」に迂回して回避するようになってしまった。
日本経済の問題点は投資にたいして適正なリターンを期待できないのに消耗材や耐久消費財にお金が使われてしまっていることだ。
すべてがここに帰結する。


原材料費や、燃料費がかかることばかりがなされてきた。
耐久消費財とは何かというと、ひらたく言うとコンクリートだ。
人間にお金がつかわれたのであれば、それはどこかでまた使われてめぐる。
だが、コンクリートのような耐久消費財にお金がつかわれてしまうと、お金はそこで滞ってしまい再び市場にながれてることができない。
商店街のひとたちからからよく聞く言葉に「いってこい」というのがある。
お金の使い方には「いってこい」のお金の使い方と「いったっきり」のお金の使い方がある。


公共事業で経済を活性化させようというなら、原材料費をかけすぎてはならない。
10のうち7を耐久消費財として固定してしまっては、3しか還流しない。
資源がほとんど無いこの国では7のうち5ぐらいは国外に流出してしまう。
国内の経済がよくなる道理がない。
まだベタな汚職で談合でもされてたほうが救いがあった。
道路をほじくっては埋めている間に消えるのは金と労力だけでなく未来まで埋めちまったようだ。


公共投資をおこなうのであればそれは10年や20年で回収されなければならない。
この数十年、掛けたお金に対してきちんと利益回収がなされた投資がどれだけあっただろうか。


見えないようにされただけの問題

事業仕分で話題になった、次世代スーパーコンピューター
本当に科学技術の発展のために予算がつかわれるなら有意義なことだ。
未来の日本の産業になる可能性もあるし、そこで大きくまた稼ぐことができるかもしれない。
使われたお金が優秀な人やその関係にであれば、その人が使えばまたお金はめぐる。
遅かれ早かれ世間にお金はもどってくるはずだ。
いいことづくめのはずである。



次世代スーパーコンピュータ施設の建築中の写真がここにある。

https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/809xDo9D72


次世代スーパーコンピュータの予算は1200億ともいわれている。

http://www.asahi.com/science/update/0203/TKY201002030350.html
神戸港の人工島に、スパコンが入る「計算機棟」と、冷却用の「熱源機械棟」、100人以上の研究者が常駐する「研究棟」などを建設中で、工事の進み具合は8割程度という。総工費は193億円。
...
施設の維持費は年間100億円前後

http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/supercomputer/
マクロ経済モデルによる経済効果は約3.4兆円、具体的効果事例は約8,400億円(いずれも文部科学省の試算例)


・・・。
あえてコメントをしないでおく。




大義は立派で反対ができないことに一方通行のお金がつかわれてきた。
「科学技術を発展させます!」「人の命をすくいます!」「老人や子供にやさしい社会をつくります!」
反対の余地もない立派なことだが、じゃあそこに何に幾らつかって、どれほどの効果を見込むのかとなるとバランスを欠いている。

すこし大げさにいうが現在のお金の使い方は10年後の1人を助けるために100人の現在が無駄になっているのではないかとも思う。
お金という形で、国民が納めた労力がまるで資金洗浄されているかのようだ。



スパコンはあくまで1例だ。
最近だと、新型インフルエンザのワクチン30億円分が期限切れになった。
このままいけば輸入ワクチンの分だけで1100億円分が無駄になるといわれている。

欧州から輸入した新型インフルエンザワクチンのうち、234万回分(約30億円分)が31日、使用期限を迎え、廃棄される見通しとなった。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100331-OYT1T00949.htm

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100323/ecb1003231310000-n1.htm
ワクチン輸入に使われた税金は1126億円。厚労省は「危機管理上の判断だった」と強調している。ただ、元北海道小樽市保健所長で、インフルに詳しい外岡立人(とのおか・たつひと)氏は「今回のように季節性と毒性が大きく変わらない新型インフルで、これほど大量のワクチンが必要だったのか。今後の検証が必要だろう」と話している。

「人の命を救います!」
誰もが反対の出来ない崇高な目標だ。
反対したら「何かあったときに責任がとれるんですか!」と非難の対象にすらなる。
だけど、その1100億円のために何人もの人が不幸になってるんだよね。
もしくは、これから不幸になるんだよね。


名目だけで予算がつき、予算を消化した証拠が欲しいためにモノになってしまう。
しかも廃棄されて再び国内に還流することがない。
残念だ。



モノに投資してきた日本

日本には御用学者なるオ偉い先生がたがいて、恣意的なデータを駆使されて結果として意味のわからない投資がされることが多い。
結果調査を見れば一目瞭然なのだが、結果調査がなされることもなければ、失敗が認められることはもちろん、責任をとらされることも無い。


耐久消費財にお金がまわされることの残念なところは他にもある。
一度形にしてしまうと、維持するのにも撤去するのにもお金がかかってしまうことだ。
うまくいっている間はいいが、この失敗は累積して今後も重荷となってわれわれに降りかかる。
30年前に立てた建物は綺麗に消えてくれるわけではない。壊すのも維持するのにもお金がかかりつづける。


なにもコンクリートに限った話しではない。
日本では、形にならないとお金が支払われないことが多い。
プログラマーがプログラムを書いてもただの人件費だし、医者が治療をしたって時給換算1000円にしかならない。
医者だって高い医療器具をそろえなければ開業ができないし、薬の処方箋を出さないと保険の点数もつかない。
町医者にCT、MRIX線とか無くてもいいでしょ。
必要なのか?という設備投資を要求されるが無いと商売にならない。
床屋を始めるのだって、洗髪台がないとだめだとか、どんだけモノが必要なんだよとおもう。


年間の起業件数は統計上も減っている。
かわりに増えているのが創業時に必要な開業資金だ。
金を稼ぐためにお金を耐久消費財につかわなければならない。
これでよくなる経済があったら知りたいもんだ。


これらの設備投資は投資ではない。
投資した金額をそれを導入したことで回収できないかぎり、いったきりのお金だ。
いったきりのお金が増えれば、当人のみならず、その地域の経済すべてに影響をあたえる。
開業資金があがることによって、早い段階で廃業する企業も多い。
新品で買われた設備がまさにゴミになる。
いまもまさに使われない設備という損失が積み重なっている。


ドラッカーの予言

P.F.ドラッカーは15年以上前に書かれた著書の中で、その現状を的確に表現していた。
たしかこの本だったか…?

すでに起こった未来―変化を読む眼

すでに起こった未来―変化を読む眼

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日本で大きな体制交代がおこることはありえない。
なぜなら51%以上が、なんらかの恩恵にあずかる利害関係者であるからだと15年前にドラッカー先生が書いていた。
事実、そのように未来は進んだ。
そして現代になり、そのパワーバランスに変容がみられよくわからない政権交代がおきた。
良し悪しともかく、時代の象徴なののかなと思う。



対処療法

解決策は山盛りあった
その時代にその都度解決方法とも言えるものがあったと思う。


いまでもぽろりと思い浮かぶのは、
単年度予算とかいうのを辞めればいいし、
受益者負担の原則できちんとやればいいとおもうし、
そもそも物事をきめるのに一票の格差とかあっちゃだめだろとか、
やってみたらいいんじゃないかとおもうことは山盛りある。


だが、解決策は実行されることはないだろう。
そういう意味では小泉元総理はよく実行できたと思う。



既存の体制で得している人がいる以上、変化は誰かの存亡にかかわる。
お金を稼がなくなったからといって姥捨て山をやるわけにはいかないように、事業が負け犬になったとしても切り捨てるわけにいかないのが日本の社会風習だ。

http://www.nsspirit-cashf.com/logical/ppm.html


リストラクションは再構築という意味で、配置換えなどの意味あいの方が強いはずなのだが日本ではなぜか「クビ」を意味する。
比較的閉じた系では、利害の人口バランスというのはそんなに急激には変わらない。だから、変化が存亡に直結してしまうのではないかろうか。
老人を若者にすることができないように、この問題にも解決策はない。
人口動態と経済の観点からすればこれはもう本当にいたしかたの無いことなのじゃないかと思う。


これを化学反応だとするならば、あとはどれだけ緩やかに変化をおこせるかだ。
途中で急激に発熱して発火や爆発したり、途中で変な生成物(耐久消費財)ができてしまったりせずに、変化ができるかだ。
社会的な混乱はぼくたちから選択肢をうばう、それは好ましくないことだとわたしは思う。



本当、つまるところバランスの問題なのだが、そのバランスを失してかなり久しい。
ポイントオブノーリターンを過ぎて10年は経ったんじゃないかとおもう。
今後どの方向に向かうかはある程度もう規定路線だが、うっかり違う可能性に進むこともあるかもしれない。
坂本 龍馬みたいな人物が世に出れば面白いかもしれないが、そうじゃない人物もいるかもしれない、そういうのはもう不確定要素でしかないので、いまのところそういう人物の気配もないし、ゆっくり紅茶でものんでるのがいいんじゃないかと思った。
( ´ノ日`)ズズ