粘菌と未来予測

なんとなくもやっとしているのでつらつらと。
爆笑問題の学問のススメで粘菌の先生がでてた。
粘菌の挙動の最適化ネットワーク構築をみてて、ふむーーんと思ってなんか色々俺の粘菌が刺激された。
人間や高等生物と呼ばれる生き物は個体として分化してしまっているが、種というものはそもそもが粘菌のような利己的な生き物の派生であり、突き詰めればそのルーツは粘菌に類似してくるのではないかとおもう。
ひらたくいうと人間は群れでひとつの粘菌と同じような振る舞いをする。
それぞれが固有の意識をもってそれぞれ自分に都合のいいように振舞って行動しているように見えて、実はそれは環境から結果そうなったにすぎないのではないかとおもう。
判断は局所的な発生と判断の積み重ねで、全体のことを考えて行動しているわけではなく、それぞれの場所でそれぞれが「よりよくあろう」とすることの積みあげでしかない。
ここに単細胞生物と人間の区別はない。ライフタイムサイクルが違うだけだ。
民主主義は必ずしも最短で合理的ではないが、大きく間違えないなどというのはまるで粘菌の経路最適化のようなものだ。
滅んだり栄えたりを繰り返して心地よい環境を探す。
ここらへんの考え方は市場とかにも通じるところがあるような気がする。
環境因子に対して因子ごとに判断を積み上げていくと恐らくはより現実に近いところでシミュレートできる。
シミュレートが大きくずれることがあるとすればそれはそこに利己的な振る舞いの判断を間違えているからかもしれない。
やはりなにか事象を評価しようとしたときは、利己的にそれぞれの判断の積み重ねをつくるのがいいのかなと思う。
んー。ここらへん採点、加点方式が実装しやすいところだけど、粘菌をみると、リソースを限定して、加点が無い限り滅びてしまうようにデザインするのがいいかもしれない。
限られた資源をどう分配して継続していくかとか、なんか超シビアだな。おもろいです。
要するに何がいいたいかというと、眠いからもうなにがなんだかよくわからないけど、粘菌面白いということだ。
脳みそが粘菌になった。

かもすぞ! ・・・とはちょっと違うか。