日本でエンジニアの成功事例が少ない理由

エンジニアが金持ちになって次の世代を作る未来
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20091211/1260534895
日本は資源の無い国。ソフトウェアで勝てなければ何で勝てというのか。
そう、今のままでは我々の仕事はみな中国へ行く。需要の縮んだマーケットとして日本は世界中の企業から見放されていく。
新しく世界に売れる仕事を作っていかなきゃいけない。Googleを追いかけるのではなく、Googleを飛び越える何かを。

新しい何かを作らなきゃいけないと思うし、そういう努力は惜しむつもりは無い。俺もあきらめてはいない。
だが、しかし結構難しいんじゃないかとおもう。
天地の利が揃わなければ勝負には勝てない。
エンジニアが活躍して日本の産業そのものを引っ張っていくには環境がいまのところまだ整っていない。

要はこの3つだとおもう。
・歴史
・マーケット
・規制


エンジニアのサクセスパスがなくなった歴史的背景

歴史を振り返ってみる。現代においてエンジニアと評される人達は江戸時代に直せば職人だ。
明治以前は職人は腕ひとつでお金を稼げたし資産を蓄えたものもの少なからずいた。
だが独立以前の職人はそもそも奉公中は給料をもらうものではないので、今のブラック企業よりブラックかもしれない。
ここらへんの名残は相撲部屋を見るといいかもしれない。職人界における徒弟制度は相撲部屋の親方と力士のようなものだ。一人前になったあと数年御礼奉公をしてその部屋の後輩を育てたあと独立する。
独立したもののなかから何名かが成功し親方レベルにまで育つ。
大部屋までできれば、駆け出し職人も庇護することができる。
これが機能していた時は職人にもサクセスパスがあった。


しかし、戦中・戦後にそのサイクルが絶たれた。
戦中、腕のいい職人は不慣れな兵器開発に回された。
まず職人の生業が封じられ、そして戦後には解散させられ戦前と同じことができなくなった。
親方クラスの資産は取り上げられた。
農民や武家には土地が残った、商人には商品を残したものもいたかもしれない、だが職人には何も残らなかった。
職人はその資産を長屋や借家など建物を保有するのがメインだったからだ。
こと東京に限っては建物は綺麗に燃えてなくなった。


大量生産、大量消費が入ってきて日本の伝統工芸が採算に合わなくなって淘汰されたという。
しかしマニュファクチャリングに移行するときに職人のネットワークが欠落したのは、別の理由なのではないかと思う。
戦中には逮捕され、戦後にはGHQが乗り込んできて商売替えを余儀なくされた。
職人に残された唯一の技術も、一人ですべてできるわけもない。
陶芸や染物のような比較的属地的なものや、大工のようにどちらかというと人足で機能する職人業以外、職人ギルドは断絶している。
戦後数年職人は商人として活動するよりほかなかった。
日本の町工場の技術が世界に通用するものだといったとしても、なぜみんな個別に小さな組織で世界に立ち向かわなければならなかったのか。
庇護する体制がないまま食うために個別に戦わなければならなかったなのではないかと思う。


現在の状況をよく示す例がある。
もしソフトウエア企業が商工会に入ったとしたならば、美容室などがあるサービス部会に所属するか、工場などと同じ工業部に所属することになるだろう。
技術をつかってサービスを提供してお金にするか、技術をつかって商品を提供してお金にするかしかないのだ。
技術そのものをお金にするという産業が今の日本にはそもそもないのだ。
技術供与に産業としての地位が無い以上、エンジニアのサクセスパスはごく限られたものになる。

日本のエンジニアは歴史的に60年前に背負った呪いをまだ引きずっている。


日本のマーケットが微妙

日本は人口がへたに1億2,700万人もおるので、韓国(4800万人)や台湾(2300万人)のような国際展開の戦略をとらなかった。世界に打ってでる必要性が今までは薄かった。
世界と戦わなくてもある程度は国内需要のみで食ってこれた。
銀行も国内を無視して世界市場を第1マーケットにしようなどという法人には投資してこなかった。
しかし2005年から人口が減少に転じ、製造業+輸出という日本のメインエンジンにも陰りがでてきたため今後は世界にももう少し目を向ける必要があるだろう。


そしてマーケットにはもうひとつの意味がある。
技術そのものをやりとりするマーケットという意味だ。
技術、技能は属人的なので、法人の資産としてはなかなか計算しにくい。
人材価値評価学というような試みこそあれ、まだ実務的ではない。
技術者の流動性があがれば技術だけで食べていくこともできるかもしれないが、技術を評価する体制や横串がないので消費者側は法人などの資本規模という看板に頼るしかない。
これは会計の勘定科目などにも表れる。あるのは役務提供で「働きましたよ」という人件費でしかない。
職人が1時間で終わる仕事は会計上誰がやっても1時間で終わる仕事でしかないのだ。
その1時間の背景には数十年の技術の研鑽があったとしても・・・。


高級ワインの原価は僅か15ドル! というブログがあったが、つまりはそういう事だ。
ワインも評価したり、マーケットがなかったら値段がつかない。
原価からその妥当性を計算するより他ないだろう。
技術は評価も取引もなされないので原価ベースで計算するばかりで値段がつかない。


日本において技術費は人件費を指してしまう。
技術は属人。
人を育てても、辞めてしまうかもしれない。
ならば安い人件費で回せるような体制にできるよう、設備に投資するのが合理的だ。
熟練した職工は無用の長物になる。
イタリアの革製品やフェラーリ、スイスの時計などは高級化する路線はなかなか取りえない。


エンジュニアのサクセスパスが形成されるためには、技術の「こういうことができます」という世界への発信がまず必要。そして、成功にたどりつくまで、もしくは失敗という結果がでるまでそれを庇護する取引マーケットが必要だ。


意味がわからない規制

事業仕分けより規制仕分けだとかいう話しがもちあがったそうだ。
幼保の規制とか、意味あるの?っていう規制を仕分けていくらしい。
なるほどもっとも。早くやってほしいですね。


さて、エンジニアを縛る規制。
エンジニアを縛る規制は少ないかもしれないが、エンジニアの活動を支援する人達を縛る規制はいっぱいある。
先ほどの人件費と技術費の話しもその一例。


もっと踏み込むと日本には投資が行いにくい環境がある。
日本にはエンジェル投資家がいないなどという話しがある。
まるで日本人の気質としてそういう人が居ないんだよというような推論をされることがあるが、それは違うとおもう。
奇特な人というのは少なからず居るし、資産家も居るのだからいる可能性は排除できないだろう。
金融純資産5億円以上の超富裕層も0.1%、6.1万世帯ある。
http://www.nri.co.jp/news/2008/081001_3.html


技術層が投資対象として成立していないだけだ。
そもそも投資というものが行えない状態にある。
贈与、法定相続、連帯保証、未公開株取引規定、ストックオプションの給与所得、出資法減価償却


日本はシリコンバレーにはなりえない

そんなわけで、残念ながらいまのままではできる見込みがない。
技術者もサクセスパスがふさがれているし、投資家もルートがない。

[雑文]日本にシリコンバレーを作る方法
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20091211/1260501509

俺もあったらいいなーと思うのだけど、シリコンバレーライクなものを作ろうとしたら日本では実現は難しいんじゃないかなと思う。
カーネギーメロン大学みたいにコンピューターの教授が3000人(生徒じゃないよ!)もいるような世界もあるわけで、必ずしも追いかけるのはシリコンバレーだけである必要はないとおもう。
日本はコンピューターサイエンスの中心地でもないし、シンガポールのようにアジアの金融の中心地でもない、シリコンバレーのように金融とコンピューターを結び付ける場所もない。
でも、日本には日本なりのやり方があるので、うわっかぶせでやったものがもしかしたら世界から注目を集める場所になるかもしれない。
GPUコンピューターみたいにね( ゚∀゚)o彡゚
http://www.slideshare.net/pfi/20091210-gpu


こういうのがあちこちででてきたら楽しいよね。
ただ、みんなゲリラ戦になってしまっているので、ギルドの再発明からしなきゃいけないのかもしれない。
国が!とか言い出すと香ばしくなるから、まずは自分の身の回りからでいいんではないでしょうか。
日本でエンジニアの成功事例が少ない理由があるとするならば、エンジニアが行動してこなかったからかもしれない。そろそろ行動してもいいんじゃないかなとは思う。


聞いた話しだと、経産省とかがIT関係をいままで支援してこなかったのは、
「ITは成長産業だから行政側の助勢は要らないだろう」ということらしい。
聞いた時は笑ったですよ。
iPS細胞のときもそうだったけど、基本、考え方が違うんだろうね……。



まあ熱く書いてみたけど、考えたら俺お茶屋さんだった。



んー。お茶入れするのも職人だとか言い出していい?ダメ?
そうか。。。
( ´ノ日`)ズズ

ま、紅茶でものんでがんばりまっしょい。