ベーシックインカムだとかなんだとか

個人的にはあまり好きな考え方ではありません。
考えを言う前に、ファイナンスにおけるインカムゲインという言葉とキャピタルゲインという言葉を説明しておきます。
キャピタルゲインは株式などを売買した差額による儲けのことです。
インカムゲインは配当金に相当する利益分配になります。


赤字の法人が利益分配をすることは蛸配当といって非難され、さらには法律にも違反します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%B8%E9%85%8D%E5%BD%93
タコ配当。食うもんがないタコが自分の足を食べるような残念な状態ですね。



赤字の会社が従業員の給料を絞って株主などの不労所得者へ配当金を配るのは誉めらないとおもいます。
ここで、ハタと振り返ってみましょう。
日本の株主は日本国民です。
(もしかしたら国債所有者、変なことをいうと日銀の株主かもしれませんが…('〜` ))
日本という国は財政赤字を続けています。
インカムゲインを配るべきでしょうか?
もししたらそれはタコ配当ではありませんか?


日本人のキャピタルゲイン

日本のとなりには中国という国があります。
GDPで世界二位だった日本を今年は抜くといわれています。
しかしながら、一人あたりでみれば日本人はいまだ中国人の10倍に相当する所得があります。


しかし。
日本人は中国人の10倍本当に働いているでしょうか?
途上国の人たちの100倍働いていますか?
おそらくは日本に生まれただけで他国の数十倍に相当するキャピタルゲインを得ていることになります。
意識するせざるにかかわらずです。


日本人のインカムゲイン

日本は充分な価値を築いてきたのに、収支が赤字におちいっています。
もし会社の収支が黒でも、固定費が増大すればJALのようなことになります。
JALの破綻の大きな原因は働かなくなった人たちへのインカムゲインを保証しつづけたことにあります。
JALには最後まで潰れないと信じていた人たちも多くいました。
会社や地域などという小さなケースでもうまく回らない仕組みを、国という大きなレベルに引き上げてもうまくいかないのではないでしょうか。



ですが、逆にいうと小さなケースで成功する状態であれば、大きなケースでも実現可能です。
国レベルでのインカムゲインは確かに存在します。
収支がプラスになってお金の使い道に困れば、あとは配ればいいのです。
いくつかの国(主には産油国)などでは現にお金を配っています。



しかし、日本にそれができるほどの財力があるでしょうか?
貿易収支で日本は黒字です。
もしかしたら、ベーシックインカムという制度は既に公務員という名目で日本に導入済みなのかもしれません。
みんなにいきわたらないだけで…。


ただ…、継続性はありますか?
日本という会社が将来何で食っていくかも見えない今、キャピタルもインカムも継続するには材料が不足しているように感じます。
ものづくりでまだいけますか?
それをもっと多くの人に配るだけの稼ぎはありそうですか?


ベーシックインカム

ただ、このインカムにはベーシックという言葉がつきます。
最低限の保証はしようぜということだとおもいます。
飢えるべからずという言葉はいいですよね。


私のidはkuippaですが、「くいっぱぐれない」から着想しています。
「自分が」という意味もありますが、周りの人がとか目に届く範囲の人たち、ひいては世界の人たちがくいっぱぐれなければいいなと思います。
食べるために傷をつけウジ虫をわかせ、もの請いをする人を見たときに衝撃をうけたことがあります。
極限下で人は食べるためになんでもします。時には人から奪うこともするでしょう。
どんなにお金があっても食べるものがないというのは悲劇です。
金があっても健康でいられない、安全でいられないというのも悲劇です。
衣食足りて礼節を知るという故事があります。
必要なのはお金だけではないです。
まずは食べれるものです。
そして安全な住まいです。


ライスワークとライフワーク

仕事には食うためのライスワークと、やりたくてやるライフワークとがあります。
ライフワークなら寝食を忘れ没頭していいとおもいますが、ライスワークでお腹すかしているのとか泣けてきます。
食うために働いているのに飯も食えず毎日はらぺこで残業しているのは何かの罰ゲームなんじゃないかな・・・。


ライフワークを出来る人はこれだけ豊かになったといわれる日本でもごく少数です。
お金そものもや、お金を稼ぐために額に汗する人たちを非難するつもりはありません。
ただ、やりたいことだけをやりつづける人も非難しちゃいけないとおもうのです。
働かざるもの食うべからずとはいいますが、食うぶんを稼いだら、後は他の人たちをどれだけ食わすことができるかです。


食わす。
社員やその家族をどれだけ食わせていけるかと連想されるかたがいるかもしれませんが、そのような即時勢がある必要はないとおもいます。
エンジニアであれば、その効率化により何十万人かの労働が軽減されるかもしれませんし、科学者であれば、30年後に何十億人を飢えさせない何かをつくることができるかもしれません。つくらなくても礎になることはできます。
例えば漫画家のような直接生産に寄与しない人だって文化の醸成に役立てば、それは社会である以上どこかしらに絡んできます。
信念ともいえるライフワークは将来の人類の何かしらの役にたちます。
どんなに役に立たないと思えるものにも無用の用があります。



ライスワークとライフワークが一致するのはなかなか稀有な例です。
みんな食うために働きます。
かなり悲劇なのは日本では”適度な”ライスワークというものが許されません。
住居というものが高いし、なにより生活必需品が高すぎます。
労働生産性があがっても余剰分がどこかに消えています。
どこに消えているのかは、ぼくのおつむではわかりません。


世間ではより効率的なライスワークを行うために資格取得などをライフワークにしてしまうひとなどもいて混沌としてきています。
労働をお金に変換している延長線上にはないものがたくさんあります。
かといって、お金を稼がないことをしている延長線上にないものもたくさんあります。


バランスかなと思います。
このバランスをとって何かをやるというのはとても難しい社会だと感じています。
「月10万だけ継続的に稼ぎつづけろ」といって実現できる人がどれだけいるでしょうか。
自分はかなり金と労力をつっこんでますが、まだうまくまわる仕組みをつくりあげるには達していません。
そんなわけで、稼ぐ仕組みを月に数千円でも作り上げられる人はたいしたもんだなとおもうわけです。
役務提供以外で100円でも稼ぐ仕組みをつくれるのって凄いよね。



・・・。
多くの人に共感はしてもらえないかもしれませんが。