データを分析する人々(「オープン化」する社会での「元データ」の価値)

データを見ない人々(「オープン化」する社会での「分析」の価値)
http://www.tez.com/blog/archives/001489.html
・・・のように、ほとんど小学生の数はほとんど変わってない印象になります。
(数値はまったく同じですが。)

平成14年から平成21年までだと、わずか2.4%しか下がってない。
年平均だと0.3%ペース。

↓これかよ!と思った。

   円 |  ┌┐25,000
      |  ││      __75,000
 20,000├  ││     /|   |
      |  ││    / |   .|
      |  ││   ./ |___|    グラフで比較するとそれほど差はない
 10,000├  ││   / /   /    むしろwiiの方が高く感じられる
      |  ││   | ./  ./
      |  ││   |/ /
      └─────────
         wii     PS3

('A`)そりゃないょぅと思います。
もともと少子”化”という言葉がおかしくて、少子高齢”化”時代なのではなく、
「化」っていう言葉はすでにとれて「少子高齢時代」なんですよね。


反対の方向にグラフのマジックをつかうとこんな感じ。




最盛期の昭和56年をピークになんと小学校在籍者数は40.76%も減少している!
これを少子化時代といわずとしてなんという!!!


なんてね。
統計の恣意的解釈はもう本当にお手盛りだから、実になんとでもなる感じ。
都合のいいところのデータを持ってきて100年に一度の大恐慌だとかいってみたり、30年前にさかのぼるとデータがないようなものをつれてきて、「過去には下がったことはありません。キリ!」的な意図的なデータの誤用がされたりして、結構だまされたりする。
化学や物理の分析だとそういう恣意的な解釈から結果まで影響が及ぶような解釈が入り込む余地っていうのはなかなかないとおもうのだけど、こと実証実験や追証実験ができないような経済学とか社会学の分析というのは、調査段階から結論ありきなデータサンプリングがされているような気がしてならない。まあ、これこそただの感想だけどね。


ただ、見た感じいいところの数字を持ってきて変化していないといってしまうのはどうなのかなと思います。
同じh14年からh21年までのデータだって、中学校も6.79%下がってるわけですよ。幼稚園在園者数は7.84%も下がっておる。
小学校は2.42%なのだとしたら、むしろそれこそが特異なわけじゃないですか。
さかのぼってみるとこの期間に小学生になった層、つまりh8年からh14年まで幼稚園に在園した人口は1.61%しか下がってない。
ここで少子化に歯止めがかかった。幼稚園になる平成5年ごろ何があったんだ??って、そっちに注目するべきなんじゃないかなと思ったりするよ。



少子”化”から少子時代になったっていうならわかりますが。
つまり、「せっかくデータが公開されてもみんな元データみないよね!」という警鐘エントリーそのものが、元データみようぜという試金石になってしまっている。
意図してなのかしてないのかわかりませんが。
個人的には「年平均0.3%としか下がっていない」という表現は「底を打った」とか下げ止まったと表現するべきなのではないかなと思います。
だけどさ、幼稚園在園者が下がってるんだから小学生の数だって普通に考えればまた下がるんじゃない?



せっかくなので、国勢調査の人口100%に対する15歳未満の人口の割合の推移をグラフにしてみたよ。



人口に対して35%いた15歳未満の人口が大人になったから高度経済成長がおきた。
人口に対して25%いた15歳未満の人口が大人になったから氷河期がやってきた。
人口に対して15%しかいない15歳未満の人口が大人になるころには何がおきる?

人口動態と経済学はもうちょっと結びつけられたほうがいいとおもうんだ。素人意見だけども。


cf.
学校基本調査 > 年次統計
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843&cycode=0
国勢調査 時系列データ > 男女,年齢,配偶関係
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001007702&cycode=0