言葉と文字と国と技術

国家生き残り戦略としての日本語リストラ
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368
「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日本語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。

文法的なものとか、敬語とかは国家戦略で規定する必要などなく別にこのまま使われるにまかせるでいいのではないかと思う。どうせ緩やかに衰退していくことだろう。
だが、日本語ユーザーとしてはここらで「漢字」に対して見直しがされるとうれしい。


繁体字簡体字、そして日本で流通している漢字は、国家間(台湾を国といってしまうと問題があるかもしれないが)で融通しあい、新しくすり合わせをされるべきなのではないかと思う。
国家戦略として追求するほどの利益があるだろう。
いや、むしろマイクロソフトやグーグルあたりのグローバル企業が、PCにインストールするフォントをつくってしまえば一気に既成概念となりそうな気すらする。


日本語について

日本語は日本でしか通じないローカルな言語だ。
しかし日本人は識字率が高いうえに1億人以上も人口がひしめき合っているので、使用箇所が局所的なわりに使用人口が多い。
そんな日本語も、現代に流用されているような日本語になったのは、ごく最近の話しではないかと思う。
日本語辞書が出版(1943〜)され、テレビ(NHK1953〜)が一般家庭に普及した以降ではないか。


いま住んでいる三鷹(東京都下)でも戦後(1945〜)まもなくは数キロ離れて農村部に行くと、単語が違って言葉が通じなかったそうである。
うちの90歳すぎの爺さんは生まれ育ちが神田で、当時としては間違いなく都会っ子なのだが、べらんめぇ調とも違う、今の標準語のアクセントとはかなり違う言葉をしゃべる。そもそも50音で言う「ひ」という音を発音できない。


自分は小学校低学年の時に地方に住んでいたことがあるが、年配のお爺さん先生は、まったくもって何を言っているのか理解できなかった。アクセントやイントネーションが違う分には頑張って聞きとればなんとかなるのだが、単語がわからないのはいかんともしがたい。
日本語と括られる語も、その喋るひとたちの地域によって相当異なる。
だが、教育とテレビがその地域差異を吸収し、日本語を画一化した面は多分にあるのではないかと思う。


外国語について

コミュニケーションだけなら結構何とかなるものだと思う。
うちの母親は父親に比べ英語とかは外国語を喋れないのだけど、海外に行くと父親より喋って、現地の人と友達になってたりする。英語と日本語で雑談したりしているのをみると、もう、おばちゃん同士の会話に言葉とか関係ねぇんだなっておもう。
自分も現地の言葉をしゃべれないところを、いくつか旅したけども暗黙でやりとりされるコミュニケーション層に齟齬さえなければ、ある程度はなんとかなるんじゃないかと思う。むしろ、そういう意思疎通の部分で行き違いが生じると相手の言っている単語がわかったところで用をなさない。

日本の英語教育について

日本の英語教育が意味ねぇなあと思うのは、文法教育や単語教育ばかり重要視され、スチュエーション教育ではないからだ。
This is a Pen.がいきなり教えられるが、これを応用するのは難しいと思う。
だいたい、こちらが「これはペンです。」なんて答えなければいけないスチュエーションっていったいどんなだろう?
そもそも相手はペンを見ても何だかわからなくて聞いてきている。
「ボールペンっていうんだよ!」じゃなくても、「書くものだよ」とか、とか、「クーゲルシュライバー!」と答えるのでも通じる。「わからない」でもいいわけだ。要するに答えなんてなんでもいい。
その国の文化に馴初めの人が、その国の人が知らなくて、自分だけはその国の言葉で説明できる状況などそうそうありえない。
ボールペンの中に白い粉が入っている状態で「これはペンです」と答えさせるためだったり、ハワイ土産のひっくり返すと女性がヌードになるボールペンを税関で見とがめられた時のためのマニュアルなのではないか。


子供は「これなーに?」を多用する。
「ペンです。」は教育者側に教えておけばいい話しで、なぜ学習する側がそこから勉強をするのか首をひねるばかりだ。もしかしたら、英語を喋れない英語教師を量産するたにGHQあたりが教科書を作ったのが、そのまんま生徒に教えられたのかもしれない。もしくは向こうのグラマーの教科書をみて、そのまま作っちゃったとか。そんなところなのではないかと思う。

中国語について

言葉なんて通じなくてもなんとかなるなんて事をいいましたが、中国だけはなんともなりませんでした。
大抵、数週間も旅行して旅を終えるころにはちょっとした会話ぐらいはできるようになってるんだけど、そもそも共産圏だと風習が違いすぎるし、言葉も通じない。
筆談で乗り切ったんだけど、こりゃいかんと思ったので、社会人になってから2年間ぐらい習いました。
習ってわかったけど、こりゃ無理だわと痛感。
先生は教えている生徒のなかでも一番綺麗な発音だというが、俺のはタモリさんとかがやる声帯模写に近い音楽的スキルを使ってるだけで、これにも限界がある。
うちの爺さんに一生懸命「ひ」を発音させようと頑張った自分の幼少時代を思い出す勢いです。
認識できない音階や音調を拾えるように訓練でなんとかするのはかなりシンドイところ。


中国は経済規模だけでいうとすでに日本以上の経済大国になってしまいましたが、それでも日本人は中国語を話すことはないとおもいます。だって物理的に話せるようにはならないと思うから。
lightとrightの発音以上に日本人にはそもそも区別ができない。
子供時代に学習しないと音が拾えないレベルの難易度なので不可能です。
世代交代が進めばわからないけど、そんときにはたぶんもう隠居して老後だとおもう。


日本の漢字について

日本の漢字も旧字とかまでたどると際限なくバリエーションがありますよね。
名前に限っては、渡辺さんの辺とか、いったい何文字あるんだ??という世界。
名前専用のフォントでも30字ぐらいは登録されてます。

ex.
http://www.dynacw.co.jp/dynafont/truetype/14win.html
実際にはそれにも収まりきらないほどのバリエーションがある。
名字登記のときに、登記人の癖字だっただけなんじゃないかとか思ったりもするわけです。


新聞のWEB版での事件報道などで名前が(**は**辺に**)みたいな注釈を見ると、なんか間抜けな気分になります。
戸籍のシステムとしては、JIS第一水準、第二水準で処理して、旧字体は印章などの意匠としてでいいじゃないですかね。


もっというと、常用漢字の制定もなんかおかしいんじゃないかと思うわけです。
三鷹の鷹も常用漢字から外れたらしいので、俺は怒ってるだけなんですけど。

http://www.asahi.com/national/update/1023/TKY200910230335.html
一般からの追加希望が特に多かった東京都三鷹市などの「鷹(たか)」(22件)と障碍(しょうがい)の「碍」(20件)は、修正案でも採用されなかった。

予定では11月末に修正案を文化庁のホームページなどで公開し、一般から意見を募る。答申は当初の10年2月から3〜4月にずれ込みそうだが、同年秋に新漢字表を告示する

なんかお飾りだけのパブリックコメントの募集かもしれないけど、意見を言うといいかもしれないね。
というか言いいたいです!
三鷹市民は鷹を广と略したりするけど、广(ごん)に(たか)の読みを足しちゃうとか、そういうのはあっていいんじゃないかとおもうわけです。
あと漢には(おとこ)とかの読みを足さなきゃダメだとおもうんですよ。


WEBがかえる日本語

極東の漢字が揃う

漢字について、せめて繁体字簡体字、日本の漢字は揃ってるといいよねと思うわけです。
でもここらへんのすり合わせに国が出しゃばってきてしまうと、実現実は薄そうです…。
(台湾と中国が同じ舞台にあがっちゃうのはまだ無理でしょ)
同じ意味の漢字で、同じ語源の漢字がばらばらなのは気になるところです。


素人考えですが、常用するような漢字は同じにしてしまうのがいいのではないかと思うわけです。
漢字の「漢」は日本はサンズイだけど、別に「ニスイ」(冷とかの左側の部首ね)でもいいと思うんですよ…。逆になんでサンズイ…?みたいな。日本の「機」とか使用頻度のわりに画数多すぎです。


漢字の画数は減る

フォントサイズを6にしても読めるように画数が減ったバージョンが出るんじゃないかなと思います。
というかでてほしい。
PCや映画の字幕とかで表示されている画数は読みやすいようにということで省略されてたりしますが、「読みやすいは」その字画を採用するに足る合理的な理由になるとおもうんですよね。
PCは現状8ポイントが限界になっています。
ここらへんもっと簡略化し、画数を減らしてしていけばいいのにと思います。


・・・。
漢字協会からカミソリ送られて来そうですね。
あと画数占いからも。
書道とかはアートなので、残ればいいとおもうんですよ。アートですよアート。
芸術と情報伝達手段はかならずしも同一である必要はねぇでござんす。
音階だってピアノの出現でわずか12音階に落ち着きました……。
PC、WEBの出現で情報伝達の記号単位ももっと集約されてもいいのかなって思います。
部首とかの組み合わせで表音だけの表記するようになるとハングルになってしまうけど、17画の部首「龠」とかを保存するのは日本語伝統文化継承会に任せましょうよ。


おそらくは既に老眼であろう漢字小委員会の委員のみなさまには無理な発想かもしれませんが、Font size=6でも読める日本語漢字の出現を望みます。


外来語

中国で「の」が便利ということで使用されて久しいそうだけど、そういう表音文字はもっと国外に逆輸出してあげればいいとおもいます。英語圏とかにも。
逆に日本語はそろそろアルファベットを常用字として割り当ててしまえばいいのではないでしょうか。
カタカナにすることによって表音が揺れることもありますし、意味を損ねるケースも多いです。
アイポッドiPodと表記されるように、原文ママでアルファベット表記してもらったほうが意味が通じます。


さらにカタカナをさらに日本語に言い換える案などを発表していますが、そもそもそれまでに無かった商品名や製品名のようなものを無理に日本語化する必要はないと思います。

http://www.tokyo-keizai.co.jp/mt/2009/09/post_130.html
外来語の日本語への言い換えを推進する国立国語研究所が、33語の言い換え案を発表した。外来語の言い換えは一昨年より国語研究所により行われており今回はその三回目。既に109語の言い換え案が発表されている。

こいうのは税金の…(以下略
マイクロソフトIME辞書の設定でカタカナ辞書はオンにした状態でWindows7以降は発売してほしいです。

来るべき新技術

Blogの発達は文語を口語に恐るべき速さで近づけています。
文語が駆逐されちゃう勢いです。
文章が短いセンテンスで完結することが多くなり、文中の単語がキーワードとして補足できるようになれば自動翻訳の技術制度はさらに伸びることでしょう。
Twitterのように100文字程度のつぶやきであれば、文意を保ったまま、まるごとストレージ(貯め込み)していくことができるようになります。ここで機械による反復学習の速度があがり、コンピューターが場合学習をすることができます。


はてなキーワードじゃないけど、みんなが、一生懸命つぶやくことによって、つぶやきを体系化できるようになるはずです。
文章中につかわれる語同士の関連度を評価付けできるようにするでしょうし、その単語を使用するときの感情をも類推することができるようになるはずです。
かつての小説家は自分の語を、自分しか使わない言葉で表現するために技量を磨きましたが、これから先の小説家は逆にみんなが使う語で、みんなが使うような言葉で表現する技量が必要になるのかもしれません。携帯小説みたいな。


なずき感性抽出APIhttp://www.nttdata-nazuki.jp/)のように、その単語が使用される背景が整理され感情情報をもっと高い精度で読み取れるようになる時代も近づいていると思います。
感性抽出がもっと高確度でなされるようになれば、自動翻訳とかそういうのが圧倒的に進歩するでしょう。
それはきっとそんなに遠くない未来なのかもしれません。