「小さな政府」「規制緩和!」とか言っている人をなぜ日本から追い出したいのか

タイトルはただの煽り、裏を返せば…みたいなおはなし。

「小さな政府」「規制緩和!」とか言ってる人は日本から出て行けばいいのに
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091023/1256302802
よくいますよね。「小さな政府を!」「規制をどんどん緩和しろ」「自由な競争こそが世の中を良くする」「そうしなければ経済成長は望めない」「日本は取り残される、沈没する」とか騒いでいる人達。
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ネオリベの方々が目指したい「日本」ってどういう国なんでしょう?
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「規制ばかり」で「成功者をやっかんで」「税を高くしようとする」「大きな政府」の日本国など見捨てて、もっと規制のない、市場原理主義の徹底したところへ移り住んだらいいのですよ。

貧困

規制緩和を訴えているのは、何も儲かってしょうがない人たちばかりではないとおもうんですね。
先日、政府は日本の貧困率を発表しました。
こういう統計の存在を政府が認めるのはニュース性があるなと思います。
統計の発表は、これからの政策を評価するために継続的に発表していくという建前ですが、恐らく真意は違うでしょう。
先の政権下ではそもそも日本に貧困は存在しないという前提に立って政策が展開されてきたからです。


なぜって、、貧困率の統計を認めると、中央値の半分以下の水準を貧困だと定義すると日本には貧困層がいることになってしまいます。


いずれこういうデーターが一般メディアとかでも報じられる機会が増えてくるようになるかとおもいますが・・・、

十八か国中、日本は唯一〔原文傍点〕、再分配後所得の貧困率のほうが、再分配前所得の貧困率より高いことがわかる。つまり、社会保障制度や税制度によって、日本の子どもの貧困率は悪化しているのだ
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090426


http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/a7a46973b48f0cf47a3a4b47e7024ac5/page/2/


政府が再分配をした結果、貧乏人がさらに貧乏になってたらまずいでしょう・・・・・・。
これを貧困と定義してしまうと、いろいろな前提条件がくずれてしまう。
所得の再分配が国の建前で、これまでのやりかたを変えないためには、日本には貧困層はいないという前提じゃなきゃならんかったのです。


統計なんぞに頼らなくても、市民はうすうすと気がついてはいて、それが今回のような「もうよくわからないけど民主党でいいや」的な動きになったんじゃないかなと思うわけです。
貧困というよりは飢餓ですが、飢饉時に再分配がうまく機能しないと、文化、文明の幕が下りるのはいずれの国でも歴史が証明してくれています。
今の時代もその時々と似たようなスチュエーションなのかなと思います。



規制が守ってきたもの

今までの規制が守り続けたのはなんだったのかといえば、決して中小企業や、商店街ではなかったと思うんですよ。
タバコ屋や、薬局の出店規制なんていうのは、既得権益の最たるものですが、そんなのも結局は”同元”の商売を存続させるためのからくりの一部で、店子を守っていたのではなく、その店子を働かせて、利益を得るところを守るための仕組みに過ぎないとおもうんですね。
今の日本の規制が阻害しているのは「競争」ではなくて「参入」だとおもうんです。
だから、業界の商習慣にあわない人たちには「日本から出て行ってもらいたい」と思うのでしょう。



例えば、QBハウスのような床屋に対して洗髪をしない床屋は不衛生だとし、条例で禁止した自治体などがでてきましたが、これは本当にその地域の床屋を守るための施策でしょうか?
床屋をやるために「払わなければならないお金」は、何も免許取得費用ばかりではなく、商売を始めるために場所を借りなければならないし、高額な什器をそろえなければいけないのです。
最初にかかる資金の多さや、学習コストの高さはその後の選択肢を奪います。
辞めたくてもやめられない、違う業態をとりたくても取れなくなります。
これは結果、「俺達もそのルールでやらされてるんだから、お前もやれ」ぐらいの、足のひっぱりあいに他なりません。
(商習慣の固着化)


で、足のひっぱりあいが守っている構造とはなんでしょうか。
この参入障壁の高さが守っているのは、消費者でも商売人でも、その什器を提供するメーカでもないんだと思います。
究極には、お金を貸し出す銀行を守っているだけなんじゃないかな。*1



いまの競争って競争かな?

参入障壁や、イニシャルコストが下がれば、競争に敗れてもリトライすることができます。
行商やリアカーで商売するなんていう光景がなくなったのは、社会が成熟したからとか、やり手がいないからというわけだけでは無いと思います。
今は漁師が魚を売ろうとしても、農家が野菜を売ろうとしても、大規模流通に乗せなくてはならんのです。
流通に乗せないと採算があわんようになってしまっています。
売店側も流通にのった”商品”を仕入れるしか手がありません。
同じ商品しか扱えなかったら価格や商品以外のサービス、ブランディングだけの勝負になります。
資本力があるほうが圧倒的に有利になる純然たる仕組みがあるわけです。
これなら、0円でコーヒーを商ったとしても、過去最高益になってしまいますよね。


情報産業のような、まだ未成熟な業界はアイディアひとつ、働き如何でなんとかなるかもしれませんが、成熟した大抵の業界においては単純な資本力に帰結します。(ITも最近はシンデレラストーリーなくなってきたね。。)
この資本のギャップはまじめに労働しつづけたとしても乗り越えられないほど大きなものだと思います。


資本の力が絶対!
これが資本主義だ!と言い切ってしまうのは、いささか思考停止かなとおもいます。
かつての資本主義がリスクを資本で担保しようとしたものだとすると、今の資本主義はそれとはまったく違って、利率主義と言い換えてたほうがいいんじゃねぇかな。これは、もう、そろそろ…、つまらん…、と思うわけです。
トヨタは金融会社だ!マックは不動産企業だ!との揶揄も、もはや違和感ないです。



参入障壁と自由競争

タクシー業界の規制緩和で運転手の職が奪われるんじゃないかといわれています。
実際そうなってしまうでしょう。
なぜなら規制緩和が局所的で、それは緩和でなくて料金の自由化とか、規制の「穴あけ」なんですよね。
そんな規制緩和をすれば、見える将来は目にみえています。
あたりまえです。


だけど、100円で利用できる超近距離タクシーがあってもいいと思うわけです。
そのためには、その業者は50万円ぐらいの初期投資で、参入できなければ採算があいません。
しかし、あまりにも守るべき条項が多すぎて50万円で開業することはできません。



現在の日本において、一般の人の年収の半分以下ではじめられる商売がはたしてあるでしょうか?
商売がはじめられないということは、どこかに雇ってもらって、役務提供をするよりほかありません。
求人倍率が低い時にはどうなるでしょう。
金も実力もないひとが、なにかをまじめにやっていれば暮らしていくことができる方法は、いまどれだけ残されているでしょうか?
会社から投げ出されても、日銭を稼ぐ方法、お金を稼ぐ仕組みを作り出せる人は、そもそも商環境とかにあまり影響されない人です。それこそ、極端な話ソマリアにほおり込まれても前者の人たちより俄然なんとかなるタイプなんじゃないかなと思います。



本来であれば、一番敷居がひくくてはならない、スタートアップやリスタートがやりにくいという事実があって、いまはそこらへんなんとかしようよ、という情況だと思います。
金も実力もある人たちは、自分の活躍できる場所を選べるのだから他の人が心配する必要はないでしょう?
事実、SONYとかもう日本企業ではないし、出るほうがメリットあるひとは法人、個人(の資産)に限らずもう出ていってる。


競争から敗退することを自己責任だと問うのであれば、その責任はその人の裁量だけで担保できる責任ですか?という問題にも向き合う必要があるのではないかと思います。
が、しかし、今は違う。
そのような状態で、参入障壁を高いままにしておいて競争を自由化し、敗退は自己責任ですと言うのはフェアじゃないのではないかと思います。


商売と規制

こと商売の規制については政府とか、国とかにはあまり出しゃばってほしくないですね。
監視や監督って上下5%の異常値を取り締まるだけで十分だとおもいます。
ルールがしっかりしていれば、特定のスポーツの競技人口が増えるか?といえばそんなことはありえないわけで、競技人口が確保されたうえでのルールだとおもいます。


自然災害はべき分布で発生すると言います。
小さな森林火災を防げば防ぐほど巨大な森林火災が発生しやすくなります。


経済にも似た面があると思います。
業界の新陳代謝を規制によって保護すれば保護するほど、それが倒れたときの衝撃は大きくなります。
今、日本では守られ続けた公共事業が削減されることで、建設業界から150万人が失業の憂き目にあうのではないかと予想されています。
このインパクトはこれからくるもので、多分またごちゃごちゃするでしょう。
これから何回あるかわかりませんが、ぐだぐだと悶着があって、適度な代謝がすすめばいいんじゃないかなと思います。
これまでに溜まってしまっているストレス値が高いので混乱だけは、おきなければいいなと思います。


国と規制

緩和とかいうからややこしいんだよね。もう取っ払えばいいと思うんだ。
いや、無責任な立場なので放言なんだけど、複雑化しすぎだとおもうんだよ。税制とかも。
但し書き多っ!



つくづく、こういう議論にあがってくる”日本”って何だろうとおもう。
郷土愛とかをひきあいにだしてあなたの問題ですよとアプローチしてきてはいるが、なにか自分の住んでいる街のことではなさそうな感じがあるんだよね。
なにか霞が関という局所的な場所を指しているような気がしてならない。
別にこんな僻地でわめいたところで、なんもかわらないし、政治活動をしているわけでもない。
ルール弄りで揉めるあいだにプレイヤー冷めちゃうよ。


そういう政策を提言する人にコミットしない限りは、身近な人の相談にでものってるほうが有意義だなとか思ったりもするけど、なんとなく言いたくなったので書いちゃった。
そんな国とか言われてもわかんねぇんだけども。


おまけ、竹中平蔵

新自由主義というと必ず小泉、竹中の両氏がやり玉にあがるんだけど、なんだろう?
竹中氏の講演は昨年の金融危機の時とか、ゲストスピーカーで来ている時などをふくめ、何回か講演とかを聞いたことがあるけど、ネット界隈で見かけるケケ中と対立する自分の論みたいなエントリーをよむと、それって結局一週して竹中がいってることじゃん?みたいな。
方法論というかアプローチ、利害関係者の違いだけの気がします。


まあ、小泉氏や竹中氏のように名前の通った人をやり玉にあげて、
「やつらは売国奴だ!私腹を肥やしてけしからん!!」
とやるのはわかりやすいですけどね…。


実際問題、市民からすると右から搾取されようが、左から搾取されようがあまり変わらないですよね。
暮らしが困窮しないようにお願いしますだと、言うぐらいしかないです。


利害関係者の多い方で調整されて、ぐだぐだと周り道をとるのが民主主義のいいところかもしれませんが、あまり「日本」、「日本」とナショナリズムを煽りすぎて、市民の生活を犠牲にしてしまうのもどうなのかなと思います。
最近きな臭い発言を多く見かけるので、なんとなく言っておきたくなりました。
自分の考えの方がみんなを幸せにできるんだ的な、曲がらない人が増えすぎちゃうと、おしなべて、みんなを不幸にしかねないからね。。
おるたなてぃぶになるとあんまいいことない気がします。


(゚д゚)<誰がやってもそれなりに間違ってんだよ。


大きく間違えるまえに程よく間違えていけばいいんじゃないかなと思います。
なんて風におもったりしたりなんだりして。
じゃ、ぼく帰る! (。・"・。)ノ

追記

2chニュー速クオリティ:こんなにヒドイ日本、年収200万以下が1000万人
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51384899.html

なんかこれも煽り記事っぽいけど、つうか今更のデータすぎて、なんで今ごろ?という気もする。
まあ、そういう時期なんでしょうな。

*1:話しがそれるので今日は銀行どまり (。・"・。)ノ