もしも...プログラマがいいコードを書いたなら

もしもプログラマが効率よくプログラムを書いたなら...
お支払いいただける金額はその人が実際に掛けた工数に比例することになるでしょう。
効率よく作業をするともらえる金額が少なくなる可能性があります。


もしもプログラマが保守性の高いプログラムを書けたなら...
その人を外しても他の人にそのシステムを任せることができます。
より保守費用が掛からない会社と競争させることができ最悪仕事を失う可能性があります。


もしもプログラマがお客様の要望に見合ったプログラムを書けたなら...
バージョンアップの必要も機能拡張の必要もなく、
同じお客様からの新規需要を当てこむことができなくなる可能性があります。



適者適存という生物淘汰にならって、プログラマが進化したならば、
プログラマが定向進化した先にあるのは当然ダメコーダーです。



なんとなく思うことがあって書いた、ただのブラックジョークですが、あながち笑えやしませんやねぇ。





通常”物”の値段というものは、製造原価から積み上げ式に値段が決まっていきます。
これは役務収益や、物品販売などでも同様です。
このマージンが適正でないと暴利をむさぼると見られ短期的にはいいかもしれませんが、時間で淘汰されます。



これ以外の値段の決まり方に、コンサルティングや一部システム開発などでは、
それを導入することによる”浮くであろうお金から”販売金額を設定するものもあります。
広告などはそれを購入することにより利幅が増えるであろうという見込み益からくる相場で値段が決まります。

ですがこの相場も元を正せば一次流通品からの積み上げで発生した粗利によるものなので、税金対策や、詐欺まがいの商材などという不当な思惑が働かない限り正当な相場に落ち着きます。
システム界隈も需要に対して供給がおいつかないというご祝儀相場がありましたが、これも既に落ち着いたかと思います。




では、プログラムの値段とは一体なんなのでしょうか。
単なる思い付きですが、もしかしたら工芸品のようなものなのかもしれません。


***先生の「壺」
先生が高名であるほど値段があがります。
高名である理由は様々であるかとおもいますが、作品を含めた実力で判断される場合、
その人が壺作家の中で何人にひとりの才なのかなどの作家自体の希少価値で判断されます。
さらにはその作家のつくった作品のなかでの稀少性が検討されます。


現代の競売というシステムの中で、
100年に一度の才を持つ人が生涯にただ1度の傑作の壺の値段と、
工業用のラインで壺の値段が、正規分布に収まることはありません。
それらの壺に機能、性能に大差が無かったとしてもです。



プログラミングも同様の希少価値によってべき分布的に値段が寄らなければいけないところを、
無理に正規分布に値段を寄せているから、業界に労使的なゆがみが生じているのかな?なんておもいましたとさ。
まあでも、産業的にも社会的にも、会社法的なことを考えると今のやりかたがいまのところならざるをえないのかな。



注文建築をしようとしているのか建売を買おうとしているのか、マンションに入居しようとしているのか、
もう少し発注側にイメージがあれば業界の成熟はすすむのかもしれないけどね。



ほんじゃの!