知識経済とロケーション

知識経済に乗れない人たち
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100202/1265124889

コメント欄に書こうかと思ったら、3行いじょうになっちゃったので、こっちに書く。


脳ミソだけあれば本当に体はいらないのか?
環境の変化で脳と体の重要度のバランスが変化しているに過ぎないのではないかとおもう。


知的生産活動は最終的には一次産業の効率をあげることに力を発揮する。
他方、どうやっても知的活動のみに置換できない部分ものこる。
ロケーションにコミットした部分とか。
知的生産活動は今後さらに重要にはなるだろうけど、体がなければそもそも頭もいらないわけで、身体の細胞のすべてを脳みそににする必要はないとおもう。


脳みそに必要な栄養は今のところお金だ。(体は少し違うかもしれない。住むところとか。)
お金は血液とか栄養に相当する機能をもっている。
そのお金が脳みそにばかり偏るとその経済体はあまり先がないのではないかとおもう。
近代は情報化によって脳みそ部分がロケーションフリーなってしまったので、経済体がその形を曖昧にしつつある。
どこで血液が還流してるのかちょっとわかりにくくなってきた。

経済格差

所得格差が広がっていると報道などされるが、昨年末の大和総研のレポートによると、高所得者層の収入も落ちているので日本の場合は全体で貧乏になっているというのが正解らしい。
なので、知識経済に乗れない人達が経済の足を引っ張っているという認識を持っているのだとしたら認識違いだと思う。
知識経済にのれないから生活の見通しが暗いわけではないとおもう。

経済の見通しの心配

そんなわけで・・・。
知識経済に乗れない人たちの心配はあまりしなくてもいいのではないかなと思うわけですよ。
むしろ心配なのは脳みそ部分。
お金とか情報はますます流動性をまして世界中で還流するわけですよね。
ここらへんがロケーションに縛られなくなると、ロスさえなければ究極にはその分野には数人いれば十分になる。
いままで会社とか、地域とかそういう単位で1人づつ必要だったのが全部つながっちゃうと、1000人に10人必要だった層が60億人に10人とかで十分になったりする可能性もある。
ちょっと大げさだけど。
でも、情報を高度に整理できちゃう世界ができる可能性としては否定できないと思う。
今は過渡期なのでムラがでて混乱があるかもしれないけど、そのうち落ち着くでしょ。

そもそも経済活動に乗れないひと達

俺もあまり経済活動をしてないので、ここに分類されちゃうんじゃねぇかと思わなくもないけど…。
むしろこっちのほうが心配。


少年院を出てきた子が社会復帰をするための困難さとかさ、根深すぎる問題はそんな一朝一夕で解決しないでしょ。
労働市場流動性に欠ける日本では高年齢で一度失職するとなかなか再就職が難しかったりするし、一答万解はないとおもうんで、まあ地味にやってくしかないとおもいますが。
ここらへんは、ぶっちゃけさっぱり…(゜Д゜=)ノ⌒゜わかんね。