クライミットゲート事件

ウォーターゲート同様、些細な盗みが政治スキャンダルに発展する可能性がある。
展開をみると何者かに意図された内部告発/リークの可能性もあるんじゃないかと思ったりもする…。

科学史上最悪のスキャンダル?! "Climategate" - 化学者のつぶやき - Chem-Station
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.chem-station.com/blog/2009/12/-climategate.html
地球温暖化に関する大御所研究者のこれまでのデータとemail等が流出
・そのデータから、研究の不正・印象操作が発覚(地球温暖化はCO2が主要因ではない&そもそも温暖化してない?!)

地球温暖化に少しでも懐疑的な態度をとると沸き上がるのであまりかかわりあいたくないのだけど、もやもやするので書いておく。ただのキバヤシ君が言う程度の陰謀論なのであまり気にしないでほしい。


地球温暖化ポジショントークが多すぎて議論ができない環境にあると思う。
いまや地球温暖化は科学的な問題に収まらず、政治、外交、経済、産業、多方面に影響を与える問題にまで成長した。
そこで食っている人達も増えたので、クライメイトゲートでどんな事実が出ようとも「それでも地球は温暖化している」といい続ける人がいなくなることはないだろう。


地球温暖化については、お利口さんになって(事実がどうあろうと)大勢に乗っておくか、バカに徹してそもそも考えないかが振る舞いとしては合理的かと思う。
バカにも利口にもなれないと突き上げを食らうわ、旨みはないわであまりいいことはないように思う。
自分がどちらかというと懐疑論者に肩入れするのはただの判官贔屓だ。


まず、自分の考えを書いておく。
地球温暖化という言葉は嫌いだ。問題の実をとらえていない。
世界的な気候変動と言うべきで温暖化というのは言葉として良くないと思う。
歴史的にみても気候は変動するものなのでその原因が人に起因しようとなかろうと変動した人類が活動を継続していくためになんらかの対応は必要。
二酸化炭素を削減することはその直接的な解決策ではないと考える。しかし削減しようと規制を掛けることは必要。
対策にお金を投じることはそのお金を生み出すための経済活動が必要になるので、まったくもってナンセンス。



細かく掘り下げてみる。ただの所感。

地球温暖化

IPCCの観測データとか、ちと疑問だったんだ。
アルススプリングスのデータとか見ながらこれ経年変化で比較できるほどの精度あるのかなとか思った。
そういうのの積み重ねで比較されてもね。
東京で50年前の丸の内と今の丸の内を比較して温暖化してる!とかいわれても、うんそうかもしれないねで終わっちゃう。
気球で上空を観測しましたっていったって、二酸化炭素で保温による温暖化なら上空の温度変化の方が大きくないとあれだとおもうんだけど・・・。
まあ温暖化懐疑論のデータ検証とかはいろんな人がやってるし、そもそもそのデータがパチもんかもしれないっていうから辞めておく。
まあ懐疑論に興味のあるひとはここらへんでもみると楽しいかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=P--pmZpwYEY


気候変動

最終統計のデータが改ざんされていたとしても、漏れ伝わる細かい情報を聞く限り、地球が気候変動期にあるのはおそらくそうなのだろうとおもう。
だが、気候変動が本当だったとして、地球の地形だって変わりつづけているわけで、気候だけを変動させないのは無理な相談なのではないかと思う。


気候変動とその対策

雨が人類の活動にとって重要であることに異論がある人は少ないと思う。
人類の文明は川のそばで生まれている。同時に気候の変動とともにその姿を消している。
気候変動は歴史の中で何度となく登場してきた。
サハラ砂漠に川が流れてたこともあればグリーンランドで農耕ができていた時期もある。
先達に倣えば、気候変動の最上の策は人類の「移動」である。気候の制御であったことはない。

気候の制御

気候を制御できたことはないが、天気をコントロールしようとはしてきた。
雨乞いや豊穣のために、生贄から、運河を掘ったり、野に火を放ったりその試みは多岐に及ぶ。
原始的な宗教儀式のほとんどが天候に関するものだと言っても差し支えがないぐらいだ。
二酸化炭素はある種、宗教に通じるものがあるんじゃないかと思う。
二酸化炭素削減という祈祷。
人心を安心させるのに象徴を設けるのはありだとおもう。
それが科学的に効果があろうとなかろうと怒りや祈り、恐怖の対象は必要だからだ。

気候変動の速度

人の活動に起因した気候変動だから人間が活動して制御しなければいけない、その変化速度を落とさなければいけないという論がある。
なるほどその通りだなと思う。
その努力はしなければいけないだろう。
だが、人類は増え続けている。
1950年 25億人だったのが2010年には69億人になる見込みだ。*1
人類の活動を抑えこむための一番の近道は人口を減らすことなのだが、その論を避けるように二酸化炭素の排出量を抑えるという論ばかりが先行する。
ここには「二酸化炭素削減のために人類を減らせるか」というタブーがある。
つまるところ、「地球の環境」という「地球」は綺麗ごとで、人類が心地よく過ごせる環境を守りたいということなのだ。
人口が増加すれば、どれだけ無駄を削減しようとも二酸化炭素排出量はトータルでは増え続ける。

削減のためにお金を投じること

3R(リサイクル、リユース、リデュース)が日本に来たときに、リデュース(reduce:減らす)は黙殺された。
減らして儲かる人がいなかったからこの言葉が広まらなかったのだという。
今でこそ電気代の節減などにより差益を得る人や会社がでてきたが、無駄の削減というビジネスのマーケットサイズは元のマーケットサイズを上回ることはない。
無駄の削減のためにお金を投じるというのであれば、償却期限を設ける必要がある。
もし償却期限を設けられないものにお金を投じてしまうと、その無駄の原資のために活動をしなければいけないことになる。
毎月1万円の高熱費を5000円にできるからといって毎月5000円以上払ってしまうのは本末転倒である。
二酸化炭素削減についてはその構造が複雑化されわかりにくくなっているが、過大になっている節がある。
ことその原資を税金から拠出するとなると、そのお金を粗利として稼ぐためには10倍相当以上の額の活動をしなければならない。経済活動は削減とは間逆の行為だ。
ゴミの有料化や環境税などのペナルティによる制限だけで十分で、そこに積極的にお金を投じた時点で建前としても通らない。
二酸化炭素削減の活動は、人類の活動を失活化させない範囲内で行わないとならない。
ここに予算を投じさせようとする人たちは、問題を複雑化し、その見積もりを計算できないものにしようとする。
複雑な問題で分解できないのであればそれはそこにはまだ投資の価値は無いということだ。
(゚冶゚)<「これは値段がつけられないほどいいものです!今買わないと二度と手に入りませんよ!」
この問題に限らず事態を複雑化し、喫緊性を煽り、値段を言うセールスにはひっかからないようにしよう。

グリーンビジネス

こちらは削減ではなく創出なので大いにやればいいと思う。
脅威があると技術が進歩する。
そういう意味では二酸化炭素という脅威はとても素晴らしい。
人の血も流れていないし、いまのところ戦争にも発展していない。
黙って脅威の後馬にのって儲ければいいのかもしれない。
大義名分とその実はチグハグになってしまうが、資源効率をあげるという努力は人類にとって継続的な課題なのでこの際、お題目はなんでもいいだろう。
よりよい環境をつくるためには必要な事なので、ぼったくりにならない程度で存分に儲ければいいとおもう。

ツバルに見る国家の存亡

近代において人は移動できても国は移動できない。
気候が変動すると、居住に適した地域と、適さない地域が変動する可能性がある。
もし、気候が安定し食物が十分にありつづけたなら人類は戦争をせずにすんだことだろう。
人間の活動に適した地域は歴史年代によって異なる。

人間にとって快適な温度

人種というと差別につながりかねないが、例えば同じ人種でも個体差がある。
人間の適応力というのは汗腺の発達など幼少期にかなりの部分決定される。
快適にすごせる適温は2〜3℃と意外と狭い。
気候変動に対応するためには移動だけでなく、世代交代が必要になる。

自然と砂漠化と絶滅

温暖化が進むと砂漠化が進むというイメージを持つ人がいるがこれは一般には誤りである。
砂漠化が進むのは一般には寒冷化のときだ。
寒冷化すると少雨になるため砂漠化がすすむ。温暖になれば降雨量が増えるし、植物の生育条件が整うので緑地が増える。
何より二酸化炭素濃度が高ければ植物は育つ。
植物や昆虫、動物類が環境変化の影響をうけ絶滅するというが、温暖化は微生物のレベルから生物多様性を促進させる。
長い目で見れば生物の種も数も増える。



おまけ。二酸化炭素

b:id:md2tak「普通はコーラがぬるくなるから炭酸が抜けるって考えるよなぁ。」
ぐぅの音も出ないほど正論だと思う。

サウジの洪水

サウジで洪水、106人死亡 1日で年間降水量超す
http://www.asahi.com/international/update/1129/TKY200911290205.html

気候変動は人類のインフラにも大きな影響を与えるのでござる。
小資源で効率よく活動できるようになるのは人類の課題。