オーガニックとかロハスとか

ひさしぶりにスーツを着て電車に乗った。
おぼんな日でも人は働いてた。いつもよりは少な目か。


数週間前に買ってつんどくしていた雑誌から「ソトコト」をひっぱりだしてかばんに入れる。

初めてのソトコトだ。
ラジオのコーナーでいつもここの編集長がなにかバブルの匂いをさせつつロハスを語っているのが面白い。
いつか読もうとおもっていたのだがこないだたまたまうってるのを見かけて買ったわけだ。


ロハスだとかオーガニックだとか、ローカーボンだとかなんかいろいろ書いてあった。
スーツのウエストがちっともロハスでないおっさんが読むには厳しい雑誌だった。


さてここ数年はロハスな生活を送っていると思う。
パソコンを除けば夏にはクーラーもろくにいれず汗まみれ、蚊まみれになり、冬には凍死寸前になるまで寒さに震えている。
グリーンカーテンどころか店の中に木をはやしているし、こないだなどはキノコも生えてきた。
そばを茹でれば薬味のシソやみょうがぐらいだったらちょっと庭をさがせばいくらでもあるし、
ナスだししとうだトマトだキュウリだのなんだのという家庭菜園から、
ミカンだリンゴだ梅だブルーベリーだユスラウメだなんだのの果物系にもことかかない。
据えつきの鳥の巣箱には今年も雛が生まれたし、昆虫も爬虫類も両生類から節足動物までいろいろいる。
お茶がらは庭の片隅にコンポストを作って堆肥にしているし、もうほんとそれは北欧人かのようなロハスっぷりである。


でも、だ。
この鼻につくロハスというのがなんとなく気に食わない。


今日はゴーヤについたツマグロヨコバイを何匹か殺生した。
片隅にうっちゃっておいたらバナナムシ君たちがちゅーちゅーとすいまくって枯れかけてしまったからだ。
自然と共存なんていうけども人間が快適に過ごそうとしたらそれはバトルである。
ねずみがどれだけ賢いか戦ってみないとわからない。
シロアリとのバトルには存亡が賭かっている。


自然をどうにかしようとするのもおこがましい。
どうにかしないと、人間なぞはとたんに住めなく暮らせなくなってしまうのが自然なのだと私は思う。
手入れもせずに花が咲くものか。




無信用に感情に訴えかけてくるものをうのみにしてしまうのも考え物だなと思った。
現在日本に普及しようとしている環境・エコは少なからぬアジテーションを含んでいる。


因果がばらばらなのに行動だけは規範しようとしている。
それがどうしてエコなのかがわからない。
[A]のままだと[B]になるから、[C]をするとよい。
本当か?
そのひとつひとつの項目に再度問い掛けてみる必要がある。
・ワリバシをつかい続けると木がなくなるから、マイハシをするとよい。
・レジ袋をもらいつづけると石油がなくなるから、エコバックをもつとよい。
なんでもいい。
A、B、Cどの要素でもいいから疑ってみることが必要なんじゃないかと思う。




オーガニックもそうだ。
人間が食べている野菜類をすべてオーガニックにしようとすれば餓死する人口はさらに倍増するだろう。
エコはエゴだとはよくいったものだ。
なにごとも過ぎれば毒になる。


二酸化炭素が悪だという。
地球温暖化が悪だという。


だが、地球自然史的にみれば二酸化炭素の濃度は植物を活性化するし、温暖化は砂漠化を抑止する。
そう、なぜか地球温暖化=灼熱=砂漠化というイメージが先行しているが、温暖化すれば湿度も上昇するので、多雨化をもたらし植物類の成長を加速する。
砂漠化は寒冷期にこそすすむのだ。
焼畑農業でジャングルが燃えることにより二酸化炭素が増大するなどというのも、
成長が進んだ森と低層樹林の炭素定着率を考えれば後者のほうが活性的なのだが、、、、
そのような反証も根拠も煽り文句、煽り写真の前には無力だ。



人間や、人間が築いている文明などというのは思われている以上に儚いものだ。
数十年に一度の地震でめちゃくちゃになることもあるし、数百年に一度の噴火で町が沈むこともある。
数万年に一度の噴火がやってくると過去には地上の文明がほとんど死に絶えたこともあった。



自分のお店もオーガニックの茶葉を扱っているのであまり反対論陣を張ってもしょうがないのだけども、
煽られ過ぎ煽りすぎにはご注意をと思った。


なんにせよ、日本の夏にスーツというのはロハスでないという説があったら私は支持したい。